2006年08月31日

私という現象は・・・その1

僕の好きな宮沢賢治の「私という現象は〜」に、なぞらえて、この場を借りて自分の半生
を振り返ってみようかと思っています。

僕自身の気持ちを整理する意味もあるし・・・
僕自身のルーツを見極める意味でもいい時期かな、と思ったので・・・
長くなりそうなので、何回かに分けて書きます。
興味のある方だけ、お読み下さい。





僕は昭和46年3月16日に、父の転勤先である熊本で生まれました。

父が35歳、母が30歳かな?の時です。


僕は、ひとりっ子です。
僕の前に三人、僕の後に二人死産だったそうで、僕一人だけ、この世に生き残ったと母に良く聞かされて育ちました。


父が大塚本家の嫡男で、当代様なので、必然的に僕も、大塚本家の跡取りとなります。


大塚家というのは、古くは橘氏の一派とも言われていますが、家紋は「三ツ扇」なので、まぁ本当かどうかは、良く分かりません。


僕から見て曾祖父までは、えらい金持ちだったそうで、今僕が住んでいる団地周辺も、昔は、ご先祖様の土地だったそうです・・・^^;

しかし、曾祖父が全部散財してしまったので、僕の祖父は、非常に苦労したようです。


祖父は、かなりな人物で、しかも剣の腕が立ったようで、「修猷の小天狗」と異名をとっていたそうです。
幕末の剣豪千葉栄次郎の異名「千葉の小天狗」と同じなので、かなり嬉しかったですね。


大塚家は、代々男子が短命な家系らしく、養子が続く中で久々の男子、しかもなかなかの逸材が産まれたということで、祖父はかなり期待されていたのではないでしょうか。


祖父は警察官になり、満州国に家族で赴任していたようです。
僕の父は、この祖父の長男に当たります。



祖母は、満州から当時11歳の父を筆頭に、6人の子供たち(僕の叔父、叔母ですね)を、女手ひとつで、引き揚げてきました。
当時の記録を見ると、わが子を全員連れて引き揚げてくるのは、すごいことだと思います。
この祖母の踏ん張りが無ければ、もしかしたら僕は、今存在していないかも知れません。



祖父は、満州の治安を守るために残り、ロシア人に捕まりシベリアに抑留され、そのまま帰らぬ人となりました。



幼少の頃、よく祖母が、祖父の警察官の制服姿の写真を見せながら、「お祖父ちゃんは警察官やったけんね。お祖父ちゃんの顔に泥を塗らんごとせんといかん。悪いことしよったら、ちゃ〜んとバチが当たるけんね」と言われてました。



多分父も、こう言われながら育ったんだろうなって思います。
この写真、警察官の制服に日本刀を持った祖父の姿は、最高に凛々しく、憧れでした。


posted by 大塚陽一 at 17:00 | Comment(0) | 私という現象は・・・
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