2006年09月20日

「私という現象は・・・その2」

父は、あまり少年時代の話をしません。
ただ、親戚の家に挨拶に行った時、お金か食料の無心に来たと思われて追い返されたと、いつか悔しそうに行っていた事があります。

室見川に、竹で作った罠を仕掛けてウナギを取った話とか、一緒に山に登った時に、色々食べられる植物のことを教えてくれたり、木の実を取って来て炒って食べさせてくれたりしたことがあります。

休日に、父と一緒にいれた記憶があまりないので、すごく嬉しかったのを覚えています。



父は、6人兄弟の長男で、下の弟・妹からすると父親代わりだったようです。
母親からは、大塚家の長男として、祖父の顔に泥を塗らないように、と厳しく言われ、また期待され、兄弟たちにも腹を減らさないように食べ物や、住む場所、服などの世話をしながら勉強に、仕事に、という感じだったようです。

きっとすごいプレッシャーだったと思います。



しかし、そのプレッシャーの中、誰でも知っているような大企業に就職し、20代の若さで土地を手に入れ、家を建てました。
しかも家を建てたのは、2回ですよ。

すごいです。

とてもじゃないけど、祖父や、父のような男にはなれない。
僕は、大塚家の面汚しだ・・・と、子供心にず〜っと思っていました。
いや、今もよく、そう思います。
両親や親戚から、納得してもらえるレベルの人間にはなれない。
自分は、駄目人間だ・・・本当にそう思うことがあります。



時々父が、僕のことで溜息をつくのを見たことがありますが、「がっかりだよ!」と、その表情が物語っていました。



その度に僕も、家に居辛い感覚に襲われ、一度は庭で自死を試みたこともあります。
小学校高学年か、中学校の時だったと思います。

研いだ包丁を握って、庭に座し、シャツの腹を(勿論自死の手段は、切腹しか思い付きませんでしたから)捲り、服を突き刺す瞬間、ふと頭上を見上げると、静かに青く光る月が、空いっぱいに広がっていました。

その時、月は微笑んでくれました。
月が、優しく微笑むんです。

それで僕は急に、何とも知れない気持ちが溢れ出てきて、心の底から泣きました。
どこからこんなに涙が出てくるの?という位。
(そんなに、水分取ってない筈だけど・・・とか、一瞬思いましたが^^;)

で、自死は辞めにしました。
あれからも、何度も何度も死にたいと思い詰めた事がありましたが、何とか実行に移さずにここまで来れているのは、お月様のお蔭というのも、結構な割合を占めています。



あのお月様の姿や優しく微笑むような輝きは、忘れられません。

あの時の、ひんやりと暖かい微笑みは、今でも僕を時に癒し、時に叱咤してくれています。
そして、僕に気付きを与えてくれます。



でも、父もきっと、若い頃同じような経験があるんだと思います。
僕も親になって分かりましたが、ついつい子供には要らないお節介を焼いてしまいがちです。その気持ちは、ストレートには子供に届きませんからね。

でも、同じ過ちは犯したくないので、「あけちゃん」は、「あけちゃん」らしく。「こた」は、「こた」らしく。「みこち」は「みこち」らしく。それぞれが、全然違う個性でいい。それぞれをそれぞれらしく愛しているということは、表現していきたいと思います。





しかし、思ったより親のことって知らないことばかりですね。
これを機会に、ゆっくり話をしてみたいなぁと思いました。


posted by 大塚陽一 at 11:44 | Comment(0) | 私という現象は・・・
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