2006年11月12日

「知ることより考えること」

知ることより考えること
先日、小泉さんの「政治家は使い捨て」発言について書いた記事の関連という位置付けになりますでしょうか。

今回も、カテゴリを「ご多忙パパのリスクマネジメント」としておりますが、一家を束ねる大黒柱であるパパさんと、そんなパパさんを夫に持つママさんには、特に興味を持って欲しい分野であります。
リスクマネジメントというのは、一般的には、国家であったり、企業という組織体において使われることが多い単語ですが、なんのなんの家族も一つの組織体である以上、リスクマネジメントを日頃から考えておかないとイザという時に取り返しの付かないことになってしまいます。
一番嫌なのは、「ああ、あの時こうしていれば良かった」「ああ、あの時ここまでやっておけば良かった」と、過去の自分の言動を悔やむことではないでしょうか?
それよりも、「ああ、こうしておいて、やっぱり良かった」とありたいものですね。
そういった観点から、俺は以前から「家庭レベルでのリスクマネジメント」を提唱してきました。
この文章が、あなたと、あなたのご家族の人生で、参考になれば幸いです。

国のことは、政治のプロである政治家に任せておけばいい。
会社のことは、経営のプロである経営者に任せておけばいい。
学校の事は、教育指導のプロである教師に任せておけばいい。
地域の事は、その役割に務めるべく存在する自治会長さんに任せておけばいい。
公園に落ちているゴミは、道端にポイ捨てしてあるゴミは、ゴミ箱から溢れ出してこぼれているゴミは、ゴミ収集を仕事でしている人に任せればいい。区に、市に、県に任せておけばいい。

まぁ、そうですね。
みんなが、役割分担しているんですから、その通りですよ。
でも、「こんな筈じゃなかった」
「そんな筈じゃなかった」
「こうなった責任を追及する!」
「まったく、反省の色が見えません」
「謝れば済むって問題じゃないだろ!」
「あいつの所為で!」
「こいつの所為で!」って、いう立場になりたくないですよね?

もちろん、何もかもを自分の手で行なう事は出来ません。
ですから、役割分担として、我々の代わりに国の舵を取ってくれる人を、自分の方向性や、考えを代弁してくれそうな人に託しています。
我々の代わりに、我が子に正しい知識を教えてもらっています。
自分の身体が、もう一つあれば、あと二つあれば、そう思ったことはありませんか?
役割分担の意味の一つは、それだと思います。

自分の身体が、もう一つあれば、あと二つあれば、当然すべき事を、誰かに任せているんです。
みんなそうやって、意識するとしないに係わらず、互いに支えあって生きています。
金八先生の、あの有名な「人という字は・・・」は、真実です。

普段、このことを意識して生きていくのは難しいですが、
税金を払っているんだから、この目の前に落ちているゴミを何とかしてくれよ。
税金を払っているんだから、この俺がポイ捨てしたゴミを拾えよ。
意識していないと、こんな感じの行き方になっているも、同然ではないでしょうか?
あなたはどうでしょうか?
俺は、少なくとも自分と家族だけは、こんな恥ずかしい生き方をしたくないと思います。
だから、日々気をつけています。
完璧ではありませんが・・・
だから、選挙には参加します。
自分の一票が、あるないで何が変わるかは、正直分かりません。
しかし、俺は参加しています。
自分の意見や考えは述べていくつもりです。
だから、去年の小泉劇場についても、一国民として出来る範囲で、考えを伝えたいと思い、メルマガという媒体をつかって発言しました。
自分の考えを「そうだ!そうだ!」と言ってもらうためではありませんよ^^
ある考えが存在するのは、その考えが存在することの意味があると思います。
みんな、自分の考えを持っていいと思うんですよ。

みんなは、どう言っているのか、どう思っているのかよりも、あなたにとってどうなのかを考えて欲しいです。コメンテーターの意見は置いといて。マスコミの情報操作の意図は置いといて。
いや、ひいきのコメンテーターが存在するのは、全然OKと思いますよ。
俺が最近ひいきにしている人は、橋下徹弁護士ですかね。
コメンテーターの意見が一々最もだと思えば、それでいいし、逆にこの件のここは、最もだと思うけど、この部分だけは、ちょっと考え方がおかしいな。とか、そんな感じでOKですよ。

一番は、あなたはどうなのかということですから。
そして、自分はこうだ。というのができたら、それに基づいた言動を行えばいいと思います。
選挙で自分の考えに近い候補がいたら、投票する。
いなければ、遠いなりに全員の中で一番近い人に投票するとか。
周りの人にも、なぜその人がいいか熱弁奮って、その気にさせたらいい。
我が子には、どんな風になってほしいのか。
自分は、我が子から見て、どんな親でいたいのか。
自分は、妻(夫)からみて、どんな夫(妻)でありたいのか。
自分は、親から見て、どんな子でありたいのか。
自分は、職場で、どんな人材でありたいのか。
自分は、友人からみて、どんな友でありたいのか。
自分は、日本人として、どうありたいのか。
そして、
そして、そうあるために、今自分が、自分に対して働きかけられる事はないのか?

自分の人生だから、自分にしか変えようがありません。
そして、誰も肩代りしてくれません。



表題の書籍名は、ベストセラー「14歳からの哲学―考えるための教科書」「41歳からの哲学」で知られる文筆家、池田晶子さんによるコラム集です。

もともと雑誌「週刊新潮」に連載されていたものをまとめたものだそうですが、フリーターやニートの問題、アンチエイジング、マンション耐震偽装問題、格差社会など、その時々のニュースやキーワードに触れながら、善悪とは何か、生きるとは何かを考えさせてくれる思索集です。
辛辣で、ちょっとお高い物言いが鼻につくかも知れませんが、情報過多の中、考えることを忘れがちな現代人にとっては、いい刺激になると思いますよ。


特に頷けるのは、

「科学による説明は、いかにして見るかの説明であって、見ることそれ自体の何であるかの謎には、全く触れていないのである」
「自分を自分と認めるのは自分でしかない。自分を認めるために他人に認められる必要はないのである。なのに、そこで他人に認められることを必要とするのは、自分で自分を認めることができない、自分というものがそもそも『ない』からである」

「若者は型にはめるべきである。『自分探し』という不毛を封じるために、彼らには型が必要なのだ」

これなどは、守破離に通じる考え方ですね。いいな〜^^

「人は言葉が自分の財産であるなど、まさか思いもよらない。しかし、言葉が財産、自分の価値であるということは、その人の話す言葉を聞けば、その人の価値は瞭然だという事実に明らかである」
・・・気を付けます^^;

「『国家の品格』よりも『人間の品格』の方が先ではないか」
大賛成です^^


誰かの意見や、一般論、流行をそのまま受け入れるのではなく、ちょっと立ち止まって考えてみる、そんなきっかけとなる一冊だと思います。
賛同するもよし、反発するもよし。ところどころ賛同する部分、反発する部分があっていいんです。誰と違ってもいいんです。
極端に言えば、65億人いれば、65億通りの意見があっていいと思います。
まずは、誰かの考え方に触れ、それを改めて自分のフィルターを意識してみるための、いいきっかけになるのではないでしょうか。





posted by 大塚陽一 at 17:54 | Comment(0) | ご多忙パパのリスクマネジメント
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