2006年11月17日

「ひとりでするのを、手伝って♪」

最近、異常な事件が増えています。
いや、ちょっと昔なら異常だったんですが、今では、いつもの〜という感じになってしまっています。

先生まで参加するいじめ、我が子の虐待、殺人、自殺もそうなんですが、これだけ多発すると異常だとしか言いようが無くなってきてしまいますね。



「まさか、あの人が・・・」
「普段、あんなに可愛がっていたのに・・・」
「ちゃんと挨拶する人でしたよ・・・」
「人当たりもよく・・・」
「優しい人で・・・」
と、書くと、全部被害者のことだと思われるかもしれませんが、これは、加害者のことを近所の人や、知人が、ワイドショーなどのインタビューで、話していた内容です。
もちろん、これ以外に、加害者の異常性や、「ああ、そんな性格なら、あれだけのこともしそうだな」と思えるエピソードも、語られていました。



何が言いたいかというと、特別極悪な人だから罪を犯したり、人を殺めたりする訳ではないということ。



よく、人間の質や、人間性を表す時に、「器」という言葉が使われます。

以前、人は、周りで起こる現象や、我が身に降りかかる事件、自分の周りの人に、振り回されていると書いた事がありますね。

そういう自分が、影響を受けてしまう出来事を、みんな自分の「器」の中で処理しながら、生きていきます。しかし、その器からはみ出してしまうほどの出来事が、起こった時、人は、取り乱してしまい、それこそ異常行動を取ってしまいます。

何が起こっても、動じずに的確な判断を行える人を、「あの人は、器がでかい」と言うでしょ?
つまり、現代に異常な事件が多いということは、このいわゆる「器」が、小さい人が多いということではないかと思っています。

この「器」というものは、大きくすることも、小さいままでいさせる事もできるものです。
では、「器」は、どうやったら大きくすることができるかというと、「経験」と「方向性」、そして、「根っ子」だと思います。
「根っ子」というのは、先日「守破離について」で、触れていますので、そちらを参考にして下さい。

しかし、厄介なのは、この「器」。
本人にしか大きくすることが出来ません。



「え?自分にしかって、じゃ、逆にいいじゃん。全然厄介じゃないよ」



という声が聞こえてきそうですが、本当にそうでしょうか?
我が子に何か大きな障害が迫っている時。大きな問題に困っている時。大変な思いをしている時。まいっている時。あなたはどうしますか?

つい、手を差し伸べてしまっていないでしょうか?

もちろん、それが必要な時というのはあるかも知れません。
しかし、その匙加減は、非常に難しいですね。



子供の宿題を、代わりに解く親が居ると聞いたことがありますが、親という字は、木に立って見ると書きます。
「木」とは、辞書を見ると「立ち木」となります。その木に立って「見る」んですよ。「行う」とは、書いてありません。



この世は、うまく出来ているもので、その人の課題というのは、その人のレベルに合った課題がタイムリーに起こります。
その都度、その都度、親が、代わりに対処してあげていると、本人の「器」は、小さいままなのに、課題はクリアしていっているから、いつの間にか課題のレベルが高くなりすぎてしまいます。
そして、その人の「器」の処理能力を超えてしまったら・・・。
それが、魔が差して、突発的な取り返しの付かない行動を起こすパターンです。

単純なたとえ話で恐縮ですが、何となくご理解いただけたのではないでしょうか?



器を大きくすることが出来るのは、本人だけです。



モンテッソーリ教育に、こんな一言があります。



「ひとりでするのを、手伝って」



この意味をよく考えて見ませんか?




posted by 大塚陽一 at 17:26 | Comment(0) | 子供
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