2006年12月14日

討ち入り当日!


本日12月14日は、忠臣蔵で有名な、赤穂浪士が吉良亭に討ち入りした日ですねぇ。
この日程から、毎年年末はTV各局で、映画でと、「忠臣蔵」が放映されていますね。

しかし、これ、旧暦の12月14日の出来事なので、今の新暦に直すと本当は、1月31日未明が正しいのですが・・・(^▽^;)ゞ



母が、無類の「忠臣蔵」好きだったことから、俺も幼少の頃から、必須課目として「忠臣蔵」がTVで放映されると鑑賞させられていました。



物心ついてから観た「忠臣蔵」ものは、1982年に、大石内蔵助役が緒形拳、吉良上野介が伊丹十三で、NHKの大河ドラマだった「峠の群像」だったので、この「忠臣蔵」には、かなり強烈な印象を持っています。


他に印象的だったのは、1985年12月30〜31日に放映された日本テレビ年末時代劇スペシャルの第1弾の里見浩太朗主演の「忠臣蔵」でした。

裏番組にNHKの紅白歌合戦がありながら視聴率15パーセントを獲得するだけあって、超豪華オールスターキャスト(元々「忠臣蔵」は、登場人物が多いので、オールスターで製作する超大作として、昔から、かなり好まれる話)でした。

ただ、普通吉良上野介は、隠れているところを見付かって殺されるのですが、この作品における吉良上野介は、(演じるのが、大御所森繁久弥氏だけに)高家の人間として、能を舞いながら(これも、有り得ないのですが、年末時代劇だけに)大石内蔵助に潔く討たれていました。


まぁ、元々「忠臣蔵」自体が、フィクション(これについては、いつかお話しします)なので、仕方ないですけどね(^^;)



この大石内蔵助という人は、人物ですよ。
それもかなりの器を持っている方です。

回りから何と言われても、昼行灯と貶され、不忠者・裏切り者と決め付けられてもビクともせず、己の信ずること、己の為すべきこと(浅野家再興のための運動と、天下のご定法である《喧嘩両成敗》を、お上自ら破ったことを認め、謝罪をさせること)を、ただひたすら黙々と行い、さて、いよいよそれが適わぬと判明した時点で、一転、思い切ったこと(浅野内匠頭の仇討ちのため、吉良の首を狙うこと)も実行できる。
この大石の人間力は、本当に大したものです。

そこを母も強調して、何度も何度も幼い俺に聴かせるものだから、今思うと一風変わった子供だったでしょうねぇ(^。^;)



しかし、そういうことに価値を感じる親に育てられて、今の俺が形作られているのでしょうから、ね。
ありがたいことです。ということにしておきましょうか。

我が子らは、母親に似たものか、時代劇が始まると、
「パパ〜またぁ!?」
とブーイングが起こります・・・まだ早いか(^▽^;)ゞ






posted by 大塚陽一 at 13:30 | Comment(0) | 独り言
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