2007年01月09日

透視、千里眼、お告げについて・・・その3

前回までに、

@私は超能力 や透視 などの存在を否定する考えを持っているわけではない。
A考察・考証の上、肯定できない分は否定し、否定できないというか肯定する分は肯定する、いわば「懐疑肯定派」というスタンスに近い。
Bしかし、超能力や透視という立証が難しいことを利用してペテンにかける詐欺師は、許せない。
C詐欺の手口として「ホットリーディング」と「コールドリーディング」という手法が存在する。
D細木数子は、この二つの手法を駆使する限りなく黒に近いグレーな存在だ。

というところまで、お話しました。





今日は、良かれと思って透視 や千里眼、予知を行っている人たちについての考えを述べます。



そういう彼らが、詐欺師たちと決定的に違うのは、相談者に心から同情し、「助けたい。救いたい」と熱望している事です。

しかし、それでも結果が不幸を招く恐れがある以上、私的にはあるライン以上は、許されないことだと考えています。

あるラインというのは、助言アドバイスを越えて「神」や「それに匹敵する高次元の意識を持つ生命体」の名の下に、道を指し示すレベルの行為のことです。

ちょ、と複雑で、説明し難いのですが・・・
まず、新興宗教 なんかは、例えそれが良心的な団体だったとしても、思いっきりブッブ〜!です!!






新興宗教というと、
「高いツボを買わせる」
「信者を増やさないと天国に行けないと脅されるので、家族や友人を失くす」
「カルト」
「オウム」
という感じの嫌ぁ〜なイメージを持ってあることと思います。





そういう誰が見ても黒な部分は、今回は置いておいて。

項目始めに書いたBの
超能力や透視及び、神とかいう立証が難しい能力や存在を利用してペテンにかける詐欺行為
に焦点を当てて考えたいと思います。





神様や仏様からのお告げを信じたり、占いの卦で告げるとおりに行動したりしてはいけません。
なぜなら、それは偽りだからです。





だって・・・





「天にしるしを見る者、星によって占う者、新月によってお前の運命を告げる者などを立ち向かわせ、お前を救わせてみよ。
見よ、彼らはわらにすぎず、火が彼らを焼き尽くし、炎の力から自分の命を救い出しえない」
(「イザヤ書」第47章13節)


「あなたの間に、自分の息子、娘に火の中を通らせる者、占い師、卜者(ぼくしゃ)、易者、呪術師、呪文を唱える者、口寄せ、霊媒、死者に伺いを立てる者などがいてはならない」
(「申命記」第18章10節)


「イエスはお答えになった。
『人に惑わされないように気を付けなさい。
わたしの名を名のる者が大勢現れ、「わたしがメシアだ」と言って、多くの人を惑わすだろう』」
(「マタイによる福音書」第24章4〜5節)







と、聖書でも明確に「ニセモノだから騙されちゃダメだよ」と書いてありますから(^▽^)ノ








コホン。










いや、私はクリスチャンではありませんがね・・・





今のクリスチャンの教義とか頷けない部分が多いし・・・



かといって、葬式仏教も信じていませんが・・・(^^;)



やっぱり一番合うのは、神道ですね。



全ての物事には神が宿っているから、大事にしましょ〜(^▽^)

バチが当たらんように、いいことしましょ〜(^▽^)

難しい教義はありませ〜ん(^▽^)

自然やご先祖様に感謝しましょ〜(^▽^)

で、お正月に国をあげてみんなでお参りしましょ〜(^▽^)

性に合っています(^▽^)





でも、聖書は結構好きなんですよ。





聖書が書かれた時代のクリスチャンと、現代のクリスチャン。

果たして同じ教義を守っているのでしょうか?

都合のいい部分だけを都合のいいように解釈して利用しているだけじゃないのでしょうか?








う〜・・・気をつけるつもりだったのに、また脱線していますね。






聖書には、イエスを誘惑したサタンのことを「イエスの内なる声」であると明記してあります。





サタンが、「内なる声」であるなら、対になる神もまた「内なる声」でしょう。

百歩譲って、御父である神が、実在するとしましょう。

御父、そして創造主ということは、人類の親ということになりますね。





この親という字を漢字破字法で見ると、「木の上に立って見る」となります。





親は情で、ついつい子に手を貸してしまいますが、それは本当の意味で子のためにはならない事を表しています。

でないと、いつまでも子は親離れできず、いつまでも親が居ないと自分自身の力だけでは生きていくことが出来なくなってしまいます。





経営の父、ドラッカーは、

「援助が経済開発をもたらさないことは、十分すぎるほど明かである。
一国の経済を外部から発展させることはできない。なかんずく援助では無理である」
 

   
という言葉を遺しています。

一事が万事とは、よく言ったものです。
これは、子育ての真理でもありますね。





それでは、人類の親たる神はどうでしょうか?

天にまします我らが御父は、人間の親レベルの間違いを犯すでしょうか?



神は、本人自身に選ばせ、体験させ、学ばせ、自身に成長を任すのではないでしょうか?





私は、もし神が実在するなら、そうすると信じています。





人間のダメ親みたいに、放置プレイじゃないですよ。





愛を抱いて高き場所に立ち、見守っているのです。



はい。確かに愛を感じます。



なぜなら、この世は嘆くほど救いの無い世界ではありません。



だって、何度でもやり直すことが出来るじゃないですか!



自分次第です。



あきらめさえしなければ。



もちろん失敗する前まで時間を撒き戻したり、失敗を無かった事にすることは出来ません。



しかし、その失敗を抱いて、尚且つその地点からやり直すことが出来る筈です。




贖罪です。





それを、キリストはゴルゴダの丘で身をもって示してくれたじゃないですか!
(復活したでしょ?)





自ら立ち。自ら気付き。自らやり直す。





我が子のそれを信じて見守る。


真の親たる姿勢ではないでしょうか?




難しいですけどね。

私も、どんなケースでも、そうあることが出来るか?と問われると正直クエスチョンです(^^;)




壮大なスケールで脱線し続けているような気がしますが、以上のように私は、スピリチュアルのことを考えています。






あ、あと宗教者に対して、神様に仕える身が信者や相談者に金を要求するのは・・・という人が居ますが、あれは、仕方ないです。


彼らはこの世に生きている存在だから、どうしても食べないと生きていけません。




もちろん、本職を持ちながら、相談者には対価を求めないというのが理想ですけどね(^▽^;)








posted by 大塚陽一 at 16:56 | Comment(0) | ご多忙パパのリスクマネジメント
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