2007年03月29日

花見の季節ですね〜♪

古来より日本では、四季折々の風流を肴に、盃を重ねてきました。

私は、こういった風習に日本人の素晴らしさを感じます。





まず、

春は、花見ですね。

江戸時代中期から花見は盛んに行われるようになりましたが、江戸の花見には三種類あって、最初は親友同士旧交を温める目的の「梅見」。

次が「桜見」で、締めが家族団らんを味わう「桃見」でした。
この三つ全部をクリアして、やっと春が成就すると江戸の人々は思っていました。





さて、その「桜見」の花見ですが、江戸の頃は桜を見に行くというよりも自分たちや自分のパフォーマンスを見せに行く晴れの舞台でした。

お揃いの着物をあつらえ、歌ったり踊ったり、一発芸や今で言うコントのようなことをしていたようです。



女性たちは「花衣(はなごろも)」といって、年に一度の花見の為に艶やかな着物をあつらえたり、衣装を借りたりして、花よりも華やかに着飾っていました。

そしてそれを見るのが、男性にとっては花見の何よりの楽しみでした。



花見の席では、お見合いもよく行われていたようで、花見を縁に夏に縁を深めて、秋頃に祝言というおめでたい夫婦も多かった事でしょうね。






さて、夏はと言いますと、六月から八月にかけて虫売りが養殖で孵化させた虫を売り歩きにかかります。

今と違って、カブトムシやクワガタは売られていませんでした。

なぜかというと、この頃の人々は虫の鳴き声や蛍の光を愛でていましたから、誰も買い手が付かず、商売にならなかったからです。

この頃の一番人気は蛍です。

次の人気がコオロギで鈴虫、松虫、キリギリスという感じでした。
日本人は、ずっと虫に親しんできました。

隙間の多い日本家屋に住んでいたので、常に虫が室内に入ってきてしまうため、自然と虫と共存していく暮らしぶりが当たり前になっていて、虫を殺したりせず、話しかけたり、外に放り出したりしていました。



鳴き声を愛でたと書きましたが、江戸の風流人は「虫聞き」を催したりしていましたし、一般の庶民も、虫の鳴き声や蛍の光を肴に酒をたしなむのは、普通の風景だったようです。

(ちなみに、以前TVで観たのですが、虫の鳴き声を聞き分けられるのは日本人だけらしいですね。外人には虫によって鳴き声が違う事が感知できないばかりか、雑音としか思えないそうです。可哀想ですね。人生損していますよね)(^^;)





そして、冬は「雪見酒」ですね(^▽^)

しかし、私が一番日本らしさを感じるのは、「月見」です。

十五夜にちなんでダンゴは、一人十五個ずつ食べますが、食べるダンゴと、お供えするダンゴは別物で、飾ったダンゴを近所の子供たちが盗みに来るのですが、たくさん盗まれるほど縁起がよいとされていましたし、子供達も、他所の家からダンゴを貰うと元気に育つと言われていたので、皆こぞってダンゴを取りに行っていました。



八月十五日の「望月」は「芋名月」と言われていましたが、ちょうど芋の収穫期で、里芋を衣かつぎにしてダンゴと一緒に一杯やりながら月を待ちました。



また、満月よりちょっと欠ける「十三夜(九月十三日)」は、枝豆を食べながら月を待ったので「豆名月」といいますが、「十五夜」と「十三夜」両方を見ないと片方だけでは「片見月」といって縁起が悪いとされていました。



八月は「十五夜」だけではなくて、次の夜は「十六夜」で、その次が立って待っているうちに月が出る「立待月(たちまちづき)」(物事がはかどることを「たちまち」というのはここから)で、次の十八日が「居待月(いまちづき)」で、十九日が座敷に横になって待つ「臥待月(ふしまちづき)」ですが、江戸で月見が最もにぎわったのは、「二十六夜待ち」だそうで、午前二時頃に月が出てくるまで、みんなでどんちゃん騒ぎをしていたようです。





さて、この「月見」はもともと中国から輸入した風習なのですが、中国では満月のみを愛したのに対して、日本では上記の通りあらゆる形の月を愛でていたし、曇りで月が隠れた夜は「無月」と呼び、雨で月が見えない夜は「雨月」といって、それでも「月見」として愛しました。




日本人らしいと思いませんか?



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