2007年05月06日

一身の独立なくして一国の独立なし





一身の独立なくして一国の独立なし」というのは、「学問のすゝめ」にて福沢諭吉氏が説かれたもので、「国民一人ひとりが独立しなければ、国家の独立などありえない」というものです。





私が人財育成を生業としていることは度々触れてきました。

クライアントが限られた業種に偏っている関係で、もともと研修や訓練の内容が専門的な技術習得に偏りがちだったものを、「自己啓発」や「未見の我を発見するきっかけ」「モチベーション・アップ」に焦点を当てた内容に少しずつシフトさせていっています。



で、特にこだわっているのは、この「一身の独立」。

つまり「ジリツ」ということです。





「ジリツ」は、大きく分けて三つあります。





まず、最初の「ジリツ」は「自立」です。

「自立」とは「他の力に頼らず、自らの力によって立つ」ということですね。

「セルフ・インディペンデンス」とも言われます。

自分でお金を稼ぐ「経済的自立」と、身の回りのことは人の力を借りず全て自分でやる「身体的自立」と、生活の全てに自分で責任を負いながら物事を選択し決定していく「精神的自立」が有名ですが、つまりこれは責任転換をしない。

依存・受け身から脱却し、主体的に自分の足で立つということでしょう。




そして、二番目の「ジリツ」は、「自律」です。
自らを律する=セルフコントロールです。

他者との関係において発生するニーズや責任・義務を把握し、それとの調整を図りながら自らを律し、自分自身の言動をコントロールしながら自己実現を図ることのできる人材のことと言えましょうか。

自らを律するということは、その対極にある甘えを排除することです。



この「自立」と「自律」という二つの「ジリツ」が出来て初めて、人間が本当に精神的に成熟して本当の意味でのアイデンティティー(自立と自律によって確立された自分が自分であるとの自己同一性=セルフアイデンティティ)を確立することが出来ると言われています。




そして、「セルフアイデンティティ」が確立されて始めて、三つ目の「ジリツ」である「而立」することが出来ます。

「而立」とは、孔子が述べた「三十にして立つ」から来ていますが、而(しこう)して立つということで、セルフディレクションとなります。

セルフディレクションとは、自らのアイデンティティの見地から、自らの「死生観」を確立し、その「死生観」に則った人生の方向付けを立てることです。

自らの死生観を確立し、自分らしい生き方、自分らしい価値観に基づいた生き方、自分らしい死に方をしっかり認識し、その上に立って自らの人生を日々イキイキと生きること。

「もし、我今死すとも悔い無し」そう心から思えるような人生を計画・設計・確立することが「而立」といえます。





言うまでもないことですが、こうやって次代を担う若者たちに「ジリツ」を促すことは、会社のみのためでも、クライアントのみのためでもありません。

日本のためであり、日本のため=世界のためとなります。

そういう腹積りで、日々社内で社外で研修や研究、修行しております。





これは、社員研修のみではなく、学校での教育の場や、我が子への教育、スポーツなどの場でもまったく同じだと思います。

「ジリツ」できている人間は、ことさら外野から何やかや言われなくとも、自主的に「気付き」自主的に「動き」自主的に「学んで」くれます。



そういう「ジリツ」した人間ばかり存在する社会。



素敵じゃないですか?






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