2007年05月11日

有徳の人(江戸時代の社会貢献=ボランティア)


江戸時代、収益を直接社会に還元する社会貢献としてのボランティアは、普通に行われていた当たり前の事でした」と、前回の記事『「三方良し」の精神』↓
http://familyties.seesaa.net/article/41339099.html
で述べましたが、江戸の大商人・豪商と言われる人たちは、本当に当たり前のように自らの富を社会に還元しました。



確かに、江戸の初期には権力に取り入って稼ごうという商人も居ましたが、しだいに地域社会に利益を還元して、周囲の人々の支持を受ける方向に向かっていきました。


豪商が居ると、町そのものが栄え、商売がうまくいけば、うまくいくほど町が潤うので、大商人や豪商と言われる人たちは、みんなから尊敬されて「有徳の人」と呼ばれていました。





ほとんどの豪商は、とても慎ましやかで質素な日常生活を営んでいます。

食事はご飯と沢庵一切れくらいで、おかずが付くのは一日と十五日の「荒神様の日」だけという商家も珍しくありませんでした。



江戸時代のバブル期として有名な元禄年間の、町人のヒーロー「紀文」こと、紀伊国屋文左衛門

吉原を全部買い切って豆の代わりに小判や金銀の粒を撒いたほどの彼も、「紀文の糠味噌(ぬかみそ)汁」と言われたくらい普段は質素に暮らしながら、人々のために橋を架けたり工事をする人たちに施しをしたりしていました。



町の掃除・防災・道路補修・捨て子や迷い子を町ぐるみで育てる際の養育費など、町政に使われる経費を「町入用」と呼び、地主や家主、町の商人がなっていた「町役人」が、これを支出していましたが、「町入用」への支出をケチれば、面子が丸つぶれになり、「儲けたら儲けただけ町のために使う」という姿勢がないと人々の信用が得られませんでしたから、富を持てば持つほど町のために色々と考えていたのが、当時の大商人でした。




TVの時代劇「水戸黄門」や「暴れん坊将軍」、「必殺仕事人」など





お主も悪よのぉ♪




で御馴染みの「越後屋」というキャラクター自体は、完全にフィクションだということですね。

当時、あんな悪徳な大商人が居たら、町人たちから町を放り出されるか、居辛くなって店をたたんだのではないでしょうか?





まぁ、豪商だけではなく、江戸では他人のために何かをするのは特別な事ではなく、町で普通に暮らしていると、その生き方・暮らし方が、そのままボランティアになっていたと言った方が正確でしょう。



親の帰りが遅い家の子は、他家でご飯を食べるのが当たり前。

いたずらも度が過ぎれば、自分の子であろうとなかろうと雷を落とす。

同じ長屋の全員で、みんなの子供たちを育てていました。

おかずが余分に出来たら、お裾分け。

味噌や醤油が足りなくなれば、貸し借りしながら間に合わせます。

長屋には鍵がありません。

当然、開けっ放しで自由に出入りできました。

こういうと「だから日本人はプライバシーの感覚に疎い」と言われそうですが、

「お〜い!はっつあん、居るかい?」

必ず声をかけ、

「おう、居るよ!へえんな」

許可がないと戸を開けないのが当たり前。

江戸時代のほうがよっぽど個人のプライバシーは守られていました。



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