2007年06月14日

内省観照2

全快の記事で、「人財」の特徴が「内省」にあることと「内省」が「何事も、自らの中に原因がある」と受け止めることという内容を、ご紹介しました。

しかし、なかなか「内省」をしても、あらゆるトラブルや問題に対して、それを「自らの責任」だと考えることは難しいのが人間です。





それはなぜか?



あなたは、「群盲象を評す」という話をご存知ですか?

「群盲象を評す」という話は、仏典に出てくるたとえで、「群盲象を撫ず」とも言われています。

612a7bb6-sQ.gif内容は、王様が盲人を数人連れて来て見たことも聞いたこともない未知の「象」という存在に触らせ、それがどのようなものなのかを説明させたという話しです。


牙を握った者は、
象は骨のように堅くてツルツルして先が尖って曲がっている丸い棒のようなものです

足に触れた者は「いえいえ、太い木の柱のようなもので毛が生えております

身体に触れた者は「いや、毛は生えているが柱ではなくて壁のようなものだ

耳に触れた者は「違います、薄くて平べったい、大きな団扇のようなものだ

尻尾を握った者は「とんでもない、象は紐のような生き物だ

鼻に触れた者は「何を言うか、象は柔らかくて太い毛の生えた大蛇のようなものだ



盲人達は自分の触れた部分だけで、おおよその見当をつけて巨象の全体像をイメージし、「象とは、こうしたものだ」と評価を下しているのです。

だから、当然バラバラの意見になります。

しかし、バラバラではあるけれども、盲人達の誰一人として嘘をついている訳ではないのです。

それぞれが体験したことをもとに正直に語っているのです。



ここに悲劇があります。



全員が「自分は事実を元に、正直に真実を語っているが、まったく違うことを語る他の連中は、ウソをついているに違いない」と思っています。

こういう「自分の意見が正しいから」ということで争いが起きる例は、現実にとても多く発生しています。





これは、以前ご紹介した記事「失楽園 エヴァとアダムと、ときどきサタン」↓
http://familyties.seesaa.net/article/33645484.html
の内容ともリンクしていますので、こちらも参考にして下さい。





なかなか、みんな「内省」が難しいのは、「自分の正しさは非常によく見えて、他人の落ち度や不備しか目に入らない」のが人間だからです。

しかも、本当にみんな正しいことを主張していますからね。

そして、指摘する相手の落ち度や過ち、罪も確かにそうなので、正当な指摘ではあります。



しかし、そうすべきかどうかはクエスチョンですよね?



人々が争う時は必ず、双方とも正しく、双方とも誤っているものだから江戸時代までの日本には『喧嘩両成敗』という、暗黙の了解的ご定法があった」というのも、以前お話しましたね。

みんな自分がそういう状態にあるという事に気付くのは難しいものです。

なぜなら、この記事を読んだほとんどの皆さんは、「うん、そうそう、人間ってそういうもんだよねぇ・・・」と共感していただけると思いますが、そんな皆さんも「自分だけは・・・」と思っているからです。





それが、「失楽園 エヴァとアダムと、ときどきサタン」で触れた、人間の「原罪」の真実なのです。





※ちょと長くなっていますが、またまた次回に続きます。
posted by 大塚陽一 at 10:59 | Comment(2) | 人財共育の手引き
この記事へのコメント
ついに核心にせまった記事が!
とはいえ、大塚さんは繰り返し過去の記事でそのエッセンスを取り上げておられたのですね。
過去記事で取り上げられた中で、「失楽園 エヴァとアダムと、ときどきサタン」は未読だったのですが、大変勉強になりました。実際、私はどうして「善悪を知る知恵の実」を食べたことが原罪につながるのか理解できず、長らく疑問だったのです。知恵のあること、中でも善悪の判断は秩序を生み出すためにむしろ必要不可欠では…と考えていました。
しかしながら、考えてみれば「善悪」というのはある意味非常に主観的で恣意的な側面がある訳で、確かにすべての争いごとの根幹に存在しているといっても過言ではないのですよね。
やっと腑に落ちました。ありがとうございました。

今回の一連の記事は、本当に我が身を振り返りつつ、少なからずイタい思いをしながら読ませていただきました。思い当たることばかりです…
一方で、喧嘩両成敗の考え方の高度さも勉強になりました。そういう気持ちで、謙虚に自分や周囲を受け止め、理解していく必要があるのでしょうね。
Posted by がんがん at 2007年06月14日 19:45
がんがんさん、コメントありがとうございます。

いつもながら、逆にこちらの方が気付かされることの多いコメントで・・・本当にありがとうございます。

<どうして「善悪を知る知恵の実」を食べたことが原罪につながるのか理解できず

そうなんですよ!

私も、そこがずっと気になって自分なりに色々と学びながら、気付かされながら到達した結論です。
実は、「善悪を知る実」を勧めるサタンにエヴァは、ためらい、それを勧めるエヴァにアダムが躊躇するところから、実は「何が悪い事なのか」ということも「(主なる神との)約束は守らなければ」ということも、既に知っている事から、「我善他悪」の実だったことが分かります。

しかし、現在、欧米では、この「失楽園」の件を、「善悪を知る実」を人間に与え、神の僕でありペットである地位から解放したサタンの「人間解放」そして「人間が初めて自由を勝ち取った物語」とする思想が幅を利かせてきています。

本当はここから人間は「原罪」という鎖を自らはめて、初めて自由を無くした物語なのに・・・

余談ですが、そのことを心から理解できるのは、世界広しと言えど日本人だけではないかと思います。

このことは、もうすぐ別のブログを立ち上げて、そちらで思う存分、お話ししていきたいと思います。
Posted by 大塚陽一 at 2007年06月15日 10:34
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