2007年06月16日

内省観照4


前回までの記事で、「人財」の特徴が「内省」にあること。

「内省」が「何事も、自らの中に原因がある」と受け止めること。

「内省」が難しいのは、「自分の正しさは非常によく見えて、他人の落ち度や不備しか目に入らない」のが人間だからということ。

「人財」にとっての人生は、「内省」によって、すべて自分の責任と捉えているので、「自分次第で人生は、いくらでも幸せにも、不幸にもなれるもの」だということをお話してきました。





「内省」に関しては、現代のように自らの権利を主張してはばからない人々の考え方がスタンダードとなってしまった日本では、なかなか普通には理解できない考え方かもしれません。

なぜならば、今まで日本人の悪い民族性「和」として切り捨てられてきた思想にリンクする考え方だからです。



「和」という文字を辞書で引いてみると、
やわらぐこと、過不足なく宜しきにかなうこと、おだやか、のどか、あたたか】などと記されています。



この中の「過不足なく宜しきにかなう」という件に、「和」の持つ本当の尊さがしみじみと分かるような気がします。


この「和」という思想は、古くから我が国の国法として定められていました。



それが、西暦六〇三年に聖徳太子が制定した我が国最初の成文法である「一七条憲法」の第一条に掲げられた「和を以って貴しとなす」という有名すぎる一文です。

聖徳太子は、これを人倫の究極の目的にされたそうです。



よく、この「和」をイコール「談合」として悪しきことと決め付ける人もおられますが、ここで言う「和」は、意見が対立したら足して二で割るような「和」や、多数決で人数の多い方の意見を採用する数の暴力をあまんじて受けるような「和」ではありません。

「過不足なく宜しきにかなう和」、つまり皆が「内省」している「人財」同士として、徹底的に切磋琢磨の議論をすることなのです。

互いに「内省」し合う者同士が、意見の優劣を競うのではなく、同じ方向を向いて、同じモノを目指して和らぎ睦まじく、とことんまで話し合いをすれば、道理に適う正しい意見が見出され、成し遂げられないことはないということですね。



聖徳太子にまつわる逸話に、「二十名の話を一度に聴いた」というものが、よく出てきますが、これは文字通り一度に二十名が話している内容を聴き分けた訳ではなく、二十名それぞれの立場からの正しい意見を聴いて、それぞれに自分の立場の正しさを主張するのではなく「内省」することを腹に据えさせ、二十の意見をまとめたというような事例があって出来た逸話ではないかと思っています。





またまた今日も最初から、かなり脱線していますね。

ごめんなさい。


「人財」の特徴、その最大特徴が「内省」という考え方にあるということを、これまでお話ししてきました。



実は、「内省」と同じ位「人財」という存在に不可欠な要素が、あともう二つあります。



それは・・・



ジリツ」と「第六の欲求」です。



「ジリツ」に関しては、以前の記事「一身の独立なくして、一国の独立なし」↓
http://familyties.seesaa.net/article/40937624.html

でも、触れていますので、併せてご覧頂くと理解し易いのではないかと思います。



記事の中で三つの「ジリツ」を紹介しました。



まず、最初の「ジリツ」は「自立」である「セルフ・インディペンデンス」。

「経済的」「身体的」「精神的」に依存・受け身から脱却し、主体的に自分の足で立つということでした。



そして、二番目の「自律」=「セルフコントロール」です。

したいこととやるべきことの別をわきまえ、常に「すべきこと」をすることです。



この「自立」と「自律」という二つの「ジリツ」が出来て初めて、「セルフ・アイデンティティ」を確立することが出来ると言われています。



「セルフ・アイデンティティ」は、日本語に意訳すると「自分の正体」です。

「セルフ・アイデンティティ」を確立することは、「自分の正体」を知ることに他なりません。



「何のために生きているのか?」


「どんな価値観を持っているのか?」


「どんなことに喜びを感じるのか?」


「どんな風に生きていきたいのか?」


「どんな風に死にたいのか?」



つまり「自分の死生観」ですね。

これが確立されて始めて三つ目の「ジリツ」である「而立」=「セルフディレクション」することが出来ます。



自らの死生観を確立し、自分らしい生き方、自分らしい価値観に基づいた生き方、自分らしい死に方をしっかり認識し、その上に立って自らの人生を日々イキイキと生きる計画を立てることです。



「もし、我今死すとも悔い無し」そう心から思えるような人生を計画・設計・確立することが「而立」といえます。



つまり、「こういう人生を送りたい」


で、あれば「八十代でこうでなければならない」


で、あれば「七十代でこうでなければならない」


で、あれば「六十代でこうでなければならない」


で、あれば「五十代でこうでなければならない」


で、あれば「四十代でこうでなければならない」


で、あれば「三十代でこうでなければならない」


で、あれば「二十代でこうでなければならない」


で、あれば「十代でこうでなければならない」


で、あれば「今年中に、こうなっていないといけない」


で、あれば「今月中にこうならないといけない」


で、あれば「今週は、こうしないといけない」


で、あれば「今日中に、これはできていないといけない」


で、あれば・・・



「我れ今、何をなすべきか?」



というのが、「而立(セルフ・ディレクション)」です。



難しいですが、この三つの「ジリツ」が出来ている「人財」でありたいですし、この三つの「ジリツ」が出来ている国家の一員で居たいものです。



さて、今回も脱線しながら、ついつい長くなってしまいましたので、「第六の欲求」に関しては、次回に続きますm(_ _)m

posted by 大塚陽一 at 22:07 | Comment(0) | 人財共育の手引き
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