2007年06月27日

私のスタンス〜改憲と核武装を含む日本の再武装について〜その2


1999年4月11日 山口県光市で23歳の主婦と
生後11ヶ月の女の子が殺害されるという事件がおきた。 
犯人は同じ社宅に住む18歳の少年・・・




昨日のニュース(差し戻し審の第2回公判)を、ご覧になった方もいらっしゃると思います。

光市の母子殺害被告、差し戻し審で殺意・乱暴目的を否認
2007年6月26日(火)16:32

山口県光市で1999年、会社員本村洋さん(31)の妻弥生さん(当時23歳)と長女夕夏ちゃん(同11か月)が殺害された事件で、殺人や強姦(ごうかん)致死などの罪に問われた当時18歳の元会社員(26)の差し戻し控訴審の第2回公判が26日、広島高裁(楢崎康英裁判長)であった。

 元会社員は「(弥生さんを)亡くす意思がないのに亡くしてしまった。乱暴しようという思いは全くなかった」と述べ、1、2審で認めた弥生さんに対する殺意や乱暴目的を全面的に否認した。

 元会社員は、弁護側の被告人質問に対し、事件時の心境を「赤ちゃんを抱いていた弥生さんに中学1年の時に亡くなった実母をイメージし、甘えたいという衝動が起こり、抱きついた」と述べ、「性的なものは期待していなかった」とした。

(読売新聞)








あなたは、本村洋氏と、その愛する家族を見舞った事件をご存知でしょうか?

恐らくご存知だとは思いますが、ご存じない方はコチラ↓(ウィキペディア)をご確認下さい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%89%E5%B8%82%E6%AF%8D%E5%AD%90%E6%AE%BA%E5%AE%B3%E4%BA%8B%E4%BB%B6

被害女性の夫であり、被害女児の父でもある本村洋氏は、全国犯罪被害者の会を設立し、あくまでも司法によっての裁きにこだわり、死刑判決を望むことを強く表明し続けてきました。

現在は、ご自分の裁判を闘いながら、犯罪被害者の権利確立のために、執筆、講演を通じて色々な活動をしています。






その一環で、本村洋氏が、生前に交わした奥さんとの往復書簡を中心に構成し、出版された「天国からのラブレター」を原作にした映画が、今夏全国の映画館でロードショーされる予定です。

内容は、2人の出会いに始まり、結婚、娘の誕生…幸せに満ち溢れていた頃を描き、そして悲惨な事件、裁判についても触れられる予定だそうです。

帯には、「僕からすべてを奪った。残されたのは妻からの71通の手紙だけだった」と記されています。





(前略)
人は、限られた時間しか生きられない。

限られた時間しか人を愛することができない。

だから、愛する人を大切にすることができる。

だから…生きるということは素晴らしいと…(後略)


映画「天国からのラブレター」公式HP↓
http://www.tengokulove.jp/message.html
にあった本村洋氏の言葉です。



この「天国からのラブレター」と正反対の内容である、「狼よさらば」という映画をご存知でしょうか?






ニューヨークに住む真面目な会社員であるポール・カービー(チャールズ・ブロンソン)。

ある日、彼のもとに妻と娘が病院に運び込まれたという信じられない電話が入った。

そしてポールが病院へ駆けつけた時には、妻は死亡していて、娘も廃人になっていた。

妻が何者かに襲われた挙げ句に殺され、娘も強姦されたことを聞かされたポールは憤り、悲しみに打ちひしがれながらも、警察に訴えるが、毎日のようにこの手の事件が発生していた警察にとっては、『ありきたりの事件』であるため、親身になって相談にすら乗ってくれない。

そんな警察に失望したポールは、ひょんなことから手に入れた拳銃を使って、衝動的にチンピラを殺してしまう。

 「世のため人のため」という言い訳を自分にしながら、その実、妻と娘の復讐(というより、ぶつけどころのない怒り)のためにチンピラ狩り(犯人を捜して、その犯人に復讐ではなく、チンピラ狩りというのがミソ)を始めたポールは、いつしかハンターとしての「狩る」喜びに目覚めていった。

 ポールの出現で、ニューヨークの治安はみるみる回復していき、ポールは『幻の狩人』と呼ばれ、市民のヒーローとなる。

警察はポールに眼をつけるが、ポールを逮捕すれば、彼を英雄視している市民感情を、逆撫ですることになるし、何よりも、せっかく回復した治安がまた悪化してしまうというので警察もどうするか迷っていた。

最終的に警察の選んだ選択肢は・・・!





というのが、あらすじです。


この映画の主人公は、自警主義的なスタンスです。

それでいて実際の犯人は野放しのまま、直接は関係の無いチンピラしか殺さなかったところに無常観が漂います。

何より犯罪が多発し無法化する中、犯罪被害者・遺族のやるせなさ、法と世論の間で曖昧にことを進める警察の不甲斐なさ・・・法治国家における、本当の正義とは一体何かという深い問題提起がなされている事が、この映画を社会派ドラマの傑作と位置付けさせる所以だと思います。



子供の頃、日曜洋画劇場で見た時は、街の景観(落書きだらけの暗い路地裏的な)や、どこにでもたむろ、徘徊する大勢の悪いお兄さん達に、「アメリカという国の、ニューヨークって怖い街だなぁ〜」と思っていましたが、これは見直してみると今の日本で置き換えてみても全然違和感がありません。



光市の母子殺害事件を知って私は、不謹慎でしょうが、この映画を思い出しました。

私怨や復讐心にかられず、論理的に事件に取り組む本村氏も、一歩間違えれば、ブロンソンの演じたポールのように目には目を、という甘い誘惑に屈していたのではないかと思うのです。





しかし、屈しなかった。

それはなぜかというと、使命を見付けたからではないかと思います。

もちろん劇中のポールも、ハンターとしての使命を見付けたから、チンピラ狩りを始めたのですが・・・

二人は、自分の使命に気付くきっかけが違ったのだと思います。

ポールは、偶然拳銃を手に入れたことがきっかけになって、チンピラ狩りを始めました。

被害者が増えるのを未然に防ぐために、加害者となり、別の被害者を増やしていくポール。



本村氏の具体的なきっかけが、何だったのかは、分かりませんが、自分と同じ境遇の人を増やしてはいけない!

そのためには、少年犯罪に抑止力を!

犯罪被害者の権利を確立しなければ!

と思うきっかけが、あったのではないしょうか?

具体的には、新しい基準に基づいた前例(判例)を作ることにすべてをかけておられるのです。
(今日までの流れを見ると、今後レイプ犯は、みんな「甘えたかっただけ」といいそうですがね・・・




さて・・・

もし自分が、本村さんやポールと同じ立場なら・・・

・・・何度も何度も自分自身に問いかけた問いに、今も答えは出せていません。

私は、元々「死刑なんて軽すぎる。拷問刑を採り入れるべきだ!」と考えているような男なので、きっと同じ境遇にあれば、闘う相手には犯人自身を選ぶんじゃないかと思います。

そんなこと起こらないに越したことはないのですが・・・





しかし、これが一国の問題となると・・・

しかも、我が愛する祖国となると・・・

もう一度、考えて見ませんか?



今、日本の世論は、拳銃を手に入れる方向に向かって大きく傾いています。

国際社会の無法化に、手をこまねいている国連も当てにならない。

自分の身は、自分で守らないと!

しかし、目には目を!ということでいいのか?

そして、実は、うまくノセられているんじゃないか?

とも考えています。





最後に、ナチスでドイツ最高幹部/秘密国家警察(ゲシュタポ)創設したヘルマン・ゲーリングの言葉を紹介します。

「もともと普通の人々は戦争したいと思っていない。

だが、国の政策を決めるのは、結局その国のリーダーたちだ。

民主主義であろうと、ファシズムの独裁であろうと、共産主義であろうとそれは同じだ。

『我々の国が攻撃されている。愛国心のない反戦・平和主義者が国を危険にさらそうとしている』と訴えさえすればいい。

この方法はすべての国で同じように効果的だ」






posted by 大塚陽一 at 11:31 | Comment(0) | 独り言
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