2007年07月28日

映画「明日の記憶」と、命の使い方〜その2

前回の記事『映画「明日の記憶」と、命の使い方〜その1』↓の続きです。
http://familyties.seesaa.net/article/49250457.html



前回、本作品は、あまり説明的なシーンも、ナレーション的な台詞もなかったのですが、渡辺謙さんが、絶叫したり、泣きわめき、慌てふためく様を描くことで、認知症者の抱えている本物の苦痛や恐怖、不安を、見事に表現されていたと書きました。



特に、視空間認知症障害について、食堂で部下が待っている席がわからなくなってしまうシーンとか、クライアントとの打ち合わせに向かう途中で、道に迷って自分の今居る場所がわからなくなってしまうシーンで、うまく表現されていました。

この視空間認知症障害というのは、「自分がどこに居て、ここがどこなのか」という空間の認知が出来なくなるアルツハイマー病に特徴的な症状なのですが、これを単に道に迷うという情景の描写ではなく、氏の周りをグルグルと」カメラを回して、本人の主観・視点で当惑と不安といった本人にしかわかり得ない心情を見事に描いているのがすごいと思いました。



このように言葉や説明がなくとも、視空間認知症障害の症状と、それによって当人の心に湧き上がる不安と焦燥が手に取るように理解できるというところに、映画の持つ底知れぬ力を感じます。

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さて、映画では、若年性アルツハイマーという病気が軸になっていたので、自分には関係ない遠い話だと感じる人が大半だと思います。

しかし、この病気でなくとも、「自分がどこに居て、ここがどこなのか」そして、「自分が、どこへ向かっているのか」の認知が出来ていなくて、当惑と不安にさいなまれている人というのは、意外に多いのです。

この場合の「どこ」というのは、もちろん実際の道ではありません。

自分の人生における、「今、自分の立っている場所がどこなのか」や「向かおうとしている先は、どこなのか」そして、「何のために生きているのか」ということが、認知できていない人というのは、実際はかなり多いのです。


私は、人材派遣会社に勤務し、人材教育を生業としているため職業柄、こういうことが永遠のテーマとなってきます。

教育者とは、学問や仕事のやり方を教えれば、それでいいということではありません。

教育者は、その人の人生に意味や意義を見出すきっかけを与える仕事となるでしょう。

これは、小学校の教師でも、保育園の保育士さんでも、企業内のトレーナーでも同じことです。

学問における勉強も、仕事におけるスキルアップ・キャリアアップも、本人がすることなのです。教育者が代われる訳ではありません。

ですから、本人が「自分の人生において、この学問は、どういう意味を持つのか」或いは、「自分の人生において、この仕事に従事する意義はどこにあるのか」さえ、しっかり自覚できていれば、教育者や、親や、上司がとやかく言ったり、管理しなくとも、本人がしっかりやるのです。

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映画「明日の記憶」では、若年性アルツハイマーが、渡辺謙演じる佐伯の気付きのための教育者という位置付けでした。

佐伯のような仕事人間的な「生き方」は、多くの日本人男性に当てはまるでしょう。

また、仕事だけでなく、自分の人生において価値のあること、価値の無い事も、理解できず、セルフアイデンティティ(自分の正体)を見極めぬまま生きている人は、案外多いのではないでしょうか?

映画「明日の記憶」は、私たちに「本当の自分の人生にとって大切なものを見失っていませんか?」という重要な問いかけをしている映画とも言えるのではないでしょうか?

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posted by 大塚陽一 at 14:57 | Comment(0) | 人財共育の手引き
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