2007年08月23日

アルバート・エリス博士のABC理論の続きの続き

前回は、ビリーフによる不幸な事故を回避する二つの手段の中から、一つ目の手段である、対話を紹介しました。

今日は、もうひとつの手段をお伝えします。

実は、今日お伝えする手段を先に実行してから、対話を行うと、スムーズに問題解決が可能となるものです。



そのもうひとつの手段というのが、「ビリーフへの反論」です。

難しい言い方なので、面食らってしまうかも知れませんね。

「ビリーフへの反論」というのは、以前「面接のコツ〜よかったさがし〜」で、取り上げた「よかったさがし」と同じことです。

ポリアンナは、幼い時から「よかったさがし」をしていたので、自然に物事の良い面に焦点を当てる癖が、出来ていたのです。

ですから、ポリアンナにとって、物事には必ず良い意味があるというビリーフが存在していたのでしょう。

「ビリーフへの反論」というのは、マイナスに受け取ったビリーフに対して「よかったさがし」をするというようなイメージになります。



とはいえ、実際に一端ビリーフを通した事柄は、真実として受け取ってしまっているので、自ら反論のしようがないという気持ちになってしまいます。

しかし、我々が持つ数々のビリーフの中には、まったく根拠のない信念や、非論理的な迷信によって固く信じられているビリーフが存在する事を自覚できれば、反論は割りと容易に出来るようになって行きます。


まず、知って欲しい事は、ビリーフにはプラスに働くものと、マイナスに働くものがあるということです。

プラスに働くビリーフは、

1.「〜してもいいんだ」「〜でもOK」という自分と相手の存在や行為に、許可や承認を与えるもの

2.自分と相手に、動機ややる気を与えるもの

3.自分と相手の能力を引き出すもの

などがあり、例えば、
「自分らしく居ていいんだ」「やればできる」「人は成長するもの」「可能性は充分ある」などです。



マイナスに働くビリーフは、

1.人に制限を加えたり、限定するもの

2.可能性の障害になるもの

などがあり、例えば、
「自分は〜できない」「未経験だとできない」「前例がないからできない」「うまくいくはずがない」「環境が整っていないから」「年だから」「未熟だから」などです。



このマイナスに働くビリーフの多くは、実は根拠がなく、かつ非論理的な考えである「イラショナル・ビリーフ」というビリーフであることがほとんどなのです。

もちろん、本人にとっては経験に裏打ちされたビリーフなので、根拠もあり、過去の実績を踏まえた判断なので、論理的であるという認識なのですが、その経験を得た時点で、すでに「イラショナル・ビリーフ」を持って導き出した結果であることが多いため、過去の実績や経験から導き出した法則のほとんどは、実は非論理的で、根拠に乏しいビリーフであることがほとんどなのです。



「イラショナル・ビリーフ」に反論するには、例えば、これまで例で出してきたaさんの件で考えてみると、

bさんは、aさんから挨拶されたにもかかわらず、挨拶を返さなかった。=事実

aさんは、bさんに嫌われた(無視される=嫌われた)=イラショナル・ビリーフ

bさんに嫌われた。bさんが、aさんを嫌っているという根拠としては乏しい、aさんの声が届かなかった可能性も、bさんが気付かなかった可能性も、bさんが挨拶を返そうと思ったが、気が弱くて返せなかった可能性も、実はbさんが挨拶を返したにもかかわらず、aさんが気付かなかったという可能性もあるetc…

という風に、いくらでも仮説が成り立つ以上、aさんが、bさんに嫌われているということが事実であるという考えには根拠もなく、非論理的な法則によって導き出された答えだということになります。



たとえば会社で、お茶汲みを頼まれた時・・・

「お茶汲みさせられるということは、自分は簡単な仕事しか出来ない人間だと思われているのではないか」と感じてしまう。

そこから派生して、「自分は、この職場に必要とされていないのではないか」自分の存在価値が否定されたという感情を持ってしまうのが「イラショナル・ビリーフ」の弊害です。

そこで、「お茶汲みを頼まれることは、イコール出来ない人間だからということではない」と、自分で「イラショナル・ビリーフに反論」することが大切になってきます。

そして、そこから「よかったさがし」の要領で・・・

「おいしいお茶を汲んで、喜んでもらおう」「忙しい合間に私の入れたお茶でノドを潤してもらい、リラックスしてもらおう」

と、その事柄に対する受け取り方を変えてみるのです。




ここで、過去にも紹介したことがあるとは思いますが、いくつかのたとえ話を紹介します。





『町の住人』

ある町の入口に老人が座っていた。

そこに、よその町から一人の若者(A)がやって来て、老人に話しかけた。

若者A 「私は、この町に引っ越してくることになりました。この町の人たちは、どんな人たちですか?」

老人 「君が今まで住んでいた町には、どんな人たちが住んでいたかね?」

若者A 「自己中心的で不親切な人が多かったです」

老人 「この町も同じようなものじゃ」

しばらくして、また、よその町から別の若者(B)がやって来て、その老人に話しかけた。

若者B 「私は、この町に引っ越してくることになりました。この町の人たちは、どんな人たちですか?」

老人 「君が今まで住んでいた町には、どんな人たちが住んでいたかね?」

若者B 「親切でやさしい人が多かったです」

老人 「この町も同じようなものじゃ」

数ヶ月が過ぎ、二人の若者は、それぞれ同じことを思った。

「あの老人の言ったとおりだ。前の町も、この町もいっしょだ」






もうひとつ紹介します!





(初詣の神社で)
若者 「神様、今年こそは良い年に!実りある年になりますように!」

神様 「ところで、昨年はどんな年であったのかな?」

若者 「昨年は、あまり良い年ではありませんでした」

神様 「今年も、同じようなものであろう」

若者 「そ、そんなー!どうすれば、今年を良い年にできますか?」

神様 「昨年の収穫に気づき、それに心から感謝できたら、今年は良い年になるであろう」







自分が気づかないうちに持っているビリーフに気づいて、そのビリーフを変える、或いは修正することによって、自分の望む人生を手にいれることができるということではありませんか?


世の中を変えるには、自分の考え方が変ればいいとよく言われていますが、本当にその通りですね。




posted by 大塚陽一 at 12:24 | Comment(0) | 幸せになりたくない症候群
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