2007年11月12日

病を得る2〜“Memento mori”〜

ノストラダムスの大予言」というのは、ご存知ですか?





私と、ほぼ変わらない年代であれば、「1999年に世界が滅ぶ!」という予言解釈にドキドキした覚えがあるのではないでしょうか?

私も、色々と準備をして1999年を迎えたのですが、結局滅亡は来ず、取り越し苦労でホッとしました。



でも、安心するのはまだ早いですよ!

今まだ「2012年人類滅亡」という説が、存在していますから。

これは、元々マヤ文明の年代記に則った考え方が根本にあるらしいのですが、それ以外の説(黙示録とか、ホピ族とか、諸々)でも、2012年という年度の一致が数多く見られるそうで、なかなか侮れない説だそうです。

とはいえ、私は予言とかを専門で研究しているわけでもないし、この拙記事の内容も予言について、どうこう言いたいわけではありません。



ただ、もし、この予言が本当に的中するとしたら、あと5年ちょっとの間、あなたはどう過ごしますか?

それを、ちょっと考えて欲しいなと思ったんですよ。

もし本当に、あなたに残された人生が、あと5年しかないとしたら・・・どうしますか?






世の中には、治療法の見付かっていない難病と闘う人が居ます。

病気の発見が遅く、すでに手の施しようが無い人も居ます。

残された寿命を告知された人も居ます。



以前、何かのTV番組で、世界に30人しか患者が居ないという難病と闘うアシュリーちゃんという少女の存在を知りました。

彼女の病名は、プロジェリア症候群




プロジェリア症候群というのは、生後6カ月〜2歳ほどで発症するまだ有効な治療法が見付かっていない病気で、早老症とも言われていますが、細胞の突然変異で普通の人の10倍の速度で老化現象がおき、患者の平均寿命は13歳と言われています。

アシュリーちゃんは、生後3カ月あたりから、皮膚が硬くなり始め、髪の毛が抜け出し始めたそうです。

見た目も、周りの人とは違う。

プロジェリア症候群の発症率は、800万人に一人の割合だそうです。



なんで、それが私なの!?



普通なら、そう思ってしまいますよね。

でも、このアシュリーちゃんは、「早期老化症(プロジェリア)じゃなければいいのに、なんて思わないわ。わたしは、わたしという人間であることが幸せだもの」と、明るく言っています。

そして、

「もしかしたら神様は、”わたしはプロジェリアだけど、こう生きている”ということを人に見せなさいって,その機会をお与えになったかもしれないって思うの。この病気を通して、人を助けなさいということかもしれないって思うの。」

とも、

「小さいときからよくからかわれたし、いまもからかわれることはあるけど、そういうときは“あなたにも同じ血管があるのよ”って説明するの
それでもからかうようなら、もう放っておくの
それは私の問題じゃなくて彼らの問題だから」

とも言っています。

どうですか?とても十代の少女の言葉とは思えません。

恐らく、自分が病気であり、十代中盤までしか生きられない運命であることを知った時から、「死」と向かい合い、自分の運命を前向きに受け入れたからこそ、言える言葉なのでしょう。



しかし、考えてみれば、私たちもいつか必ず死ぬということは、同じです。

もちろん病気にかかっている訳ではありませんから、体力的にも、見た目にも何も変わりませんが、それでも、「死」というものと隣りあわせで生きていることに変りはありません。



さて、もし「明日、世界が滅亡する!」と言われたら、あなたはどうしますか?

死ぬということは、その当人にとっては、世界が滅亡することと同じことです。



しかも、普段我々は、「死」というものの気配をまったく感じずに、遠い存在として、気にする事もなく生きています。

しかし、先日、道を歩いていただけの健康な男性が、たまたま投身自殺を図って落ちてきた女性に当たって、不幸にも亡くなられました。



本当に一寸先は闇。一分一秒後にどうなっているか、本当に分かりません。

明日も普通に朝を迎えられる保障も、今玄関を出て行った我が子が、ちゃんと無事に帰ってくる保障も、
また次回も家族全員揃って食事ができるという保障も、自分の本当の気持ちを言いそびれて、次回のチャンスが、また来るという保障も、まったく無いんです!



その時になって、「こうなるって知っていたら、こうしておくんだった」「ああなるって分かっていたら、ああしたのに」って、後悔しても遅いんです。



だから、「今、これが最期になったとしても、悔いはない」そう思えるように一瞬一瞬を大切に精一杯生きて行きたいですね。



不謹慎ですが、突詰めれば「死」を意識し、そのことから、「生」を意識しながら生きていくために、「病い」というものは存在しているのではないかと、そう思うのです。






“Memento mori”(メメント・モリ)──この世に生きとし生けるもの、すべてに死は訪れる。

だからこそ、来るべきその最期の瞬間を、悔いなく満ち足りて迎えるそのために、死ぬことを覚えよ。

生きるために死ぬことを覚えよ!




posted by 大塚陽一 at 17:00 | Comment(0) | 独り言
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