2007年08月14日

ジタン・ブルー

情けない事ですが、12日朝から急に熱が上がって臥せってしまい、未だに回復していません。

しかし、夏風邪というのが、こうもキツイものだとは・・・(T_T)

熱との反比例なのか、どうにもテンションが上がらないので、「ABC理論」や、人間関係に関しての話題は、お休みさせてもらいます。



ふと気付けば、今日は、私が煙草を止めて丸二年過ぎて三年目に突入というアニバーサリーでした。



当時、止める瞬間まで、私が一生のうちに煙草を止めることがあると、思ったことも無かったので、予備のGITANESも、しっかり買っていたのですが、その時のGITANESは、まだ手元にあります。



まぁ、ずっと吸おうと思えば煙草を吸える状態で、禁煙をしてきたのは、自分でも誇りに思っていますが、なぜ、煙草を止めた筈の私が、まだずっとGITANESを持ったままでいるのかというと・・・



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posted by 大塚陽一 at 10:40 | Comment(0) | 私という現象は・・・

2007年08月08日

布袋寅泰容疑者を書類送検



最近これまで以上にタイトル通り、公私共に多忙につき更新滞っています。

いあ、本当に・・・ニュースすら、ほとんど目を通せていませんでしたが、今日メールチェック中に、ふと目に入ったのが、このニュースです。↓



布袋寅泰容疑者を書類送検…町田康さんを暴行、けが負わせる

芥川賞作家でパンクロック歌手の町田康さん(45)に殴るなどの暴行を加え、2週間のけがをさせたとして、千葉県警君津署は7日、傷害容疑で、ロックギタリストの布袋寅泰容疑者(45)=東京都港区=を書類送検した。

調べでは、布袋容疑者は6月14日、千葉県君津市を走行中の車内で、バンドの活動方針の違いから町田さんと口論になり、手で顔面を殴るなどの暴行を加えた上、「外で話をしよう」と言って車から降りた町田さんを蹴るなどし、顔面や左胸に打撲などのけがを負わせた疑い。

署によると、布袋容疑者は「先に手を出した自分が悪い」と話している。

2人は、千葉県富津市内の布袋容疑者の別荘に立ち寄り、一緒に車で東京に戻る途中だったという。
町田さんが君津署に被害届を提出していた。

布袋容疑者の所属事務所は「担当者がいないのでコメントできない」としている。

サンスポ2007年08月08日更新分

matidahotei.jpg


う〜む。

布袋さんが・・・



ってか、そん位で訴えるなよ!と、思ったのは私だけ?
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posted by 大塚陽一 at 11:16 | Comment(2) | 私という現象は・・・

2007年04月26日

私のストレス解消法

あなたは、どうやってストレスを発散・解消していますか?

人それぞれ、自分に合ったストレス解消法があると思いますし、自分の効率のいいストレス解消法をもっている人は、自分のストレスをコントロールできるので、精神的に自律できているとも言われていますね。



妻のストレス解消法はドライブです(^▽^)

時々一人で(^∞^;)ドライブに出かけてストレス発散しています・・・(─┬─__─┬─)




いや、別に私から遠くに離れることが妻のストレス解消ということではありませんからぁぁぁ(>0<)

純粋に、一人気ままなドライブが効率的なストレス解消法だということだそうですからぁぁぁ(>∞<;)







・・・まぁ、それは置いといて・・・



私自身はというと、今まで別にストレス解消とか考えたこともありませんでした。

別にストレス解消しなくても、ストレスでどうかなっている訳じゃないし、「別にいいか、いらないよね〜」(^▽^)と、思っていたんですよ。




しかし、最近気付きました!

自分で気付いていなかっただけで、実は、私は普段から何気にストレス解消していたんだということを!!






どんなストレス解消法かというと・・・・・








あなたは「カメラ目線」ってご存知ですか?

まぁ一言で言うと、こういうことです↓
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posted by 大塚陽一 at 18:34 | Comment(0) | 私という現象は・・・

2007年03月16日

祖母の思い出

亡くなった祖母は、近所では有名な名物お祖母ちゃん的存在で、最近ご近所のお年寄りを集めて手巻き寿司大会を開いたのが好評で、また暖かくなったらやりましょう!と皆さん楽しみにしていたようです。

口がまめるので、本当に人を楽しませてくれて、デイケアで担当していてくれた方たちが、祖母の語録というのを作成していたようで、それを棺に入れてくれたそうです。

この「祖母語録」の内容は、父に確認していずれ公表したいと思います。




祖母は口だけでなく、機転も利いて、迫力もあったので私の友達をはじめ、ご近所さんからも

「大塚の祖母ちゃんは怒らすとコワイ」

「大塚さんのお祖母ちゃんはスゴイ」

と、もっぱらの噂でした(^^;)




私の父の兄弟たちや従兄弟たちも、口うるさいとか、コワイというイメージも持っていたようですが、私は同居しているということもあって、また、内孫という立場もあってか、どちらかというと兄弟感覚に近いものがあります。

みんなに話すとビックリするでしょうが、よくケンカもしていました。





前回もお話したとおり、かぞえで94歳という高齢にもかかわらず元気だったので、

「あんたのお祖父ちゃんな、なかなか迎えに来んばってん、あの世でいいと(女)ができたっちゃろう」

と、言ってはカラカラッと笑っていました(^▽^)




そのエピソードを受けて通夜の夜、

「今頃祖母ちゃんは、やっと祖父ちゃんに再会してラブラブしとろうね〜」

「いやぁ〜分からんよ。祖父ちゃんか裕ちゃんかどっちにするか迷っと〜カモ〜」

と、話したりしました。

祖母は、石原裕次郎の大ファンなので・・・(^^;)




あと、祖母ちゃんはあまり料理をしなかったんですが、祖母ちゃんの手料理で印象的なのは、

「だご汁」ですね。





だご汁というのは、簡単に言うと小麦粉をこねて丸めた団子が入った季節の野菜たっぷり味噌汁のことです。

しかし、あの祖母の平べったぁ〜くなった「だご」、あれがどうしても再現できないんですよね〜。

水の分量なのかな?

今度母に訊いてみますね。

とにかくこれが、美味しくて、身体も暖まるし、寒い時期は最高なんです!

ご飯とだご汁だけでも大満足(^▽^)

だご汁の具でご飯をいただいて、最後は残った汁をご飯にかけてフィニッシュ(^▽^)



あ・・・よだれが・・・(^Q^)





そうそう、再現できないと言えば、お正月を過ぎてカビが来ちゃう前に鏡餅を水につけて保存するんですが、その鏡餅を小分けに砕いて、フライパンで焼いて一塊にして仕上げにサッと醤油を絡めたものを、よく祖母が作ってくれたのですよ。

で、子供に食べさせようと見よう見真似で、何度か挑戦してみたのですが、あれが同じように作れないんですよ(TT)



「陽一っちゃん!お腹空いとらんね?餅焼いたけん食べり〜!」

春休みの時期は、毎日のように何個も何個も祖母が作ってくれました。



今でも寒い時期になると、あの味を思い出します。

posted by 大塚陽一 at 11:04 | Comment(0) | 私という現象は・・・

2007年03月15日

ひとつの歴史が幕を閉じました

img_53131.jpg

今月の12日早朝、祖母が息をひきとりました。

最期は子供たちに見守られ、眠るように逝きました。

ひとつの歴史が終わったのですね・・・



あ、上の花の画像は、祖母がこよなく愛した「胡蝶蘭」です。






祖母は先月の27日が誕生日でしたので、歳を重ねたお祝いをしたばかりで、倒れる前日まで・・・否、直前まで、まさかと誰もが思うほど元気でした。

8日に倒れて、そのまま意識が戻らないまま逝ってしまいました。



ですから、なかなか会いに来れなかった親戚は最期にちゃんとお別れの言葉を交わせず、悔やんでいました。


幸い私は、11日に子供たちを連れて祖母に会いに行っていたので、何となくその時にお別れできたような気がしていました。




そういえば・・・私は煙草を止めてそろそろ2年になるのですが、認知症の進んだ祖母は、私の顔を見る度に、

「陽一っちゃん!一服せんね?え?煙草止めたとね!?節約ね!?情けなかねぇ・・・男たる者、そんくらいたしなみたい!お金くらい、あばかんあるっちゃけん、困っとったら祖母ちゃんに言ってこんね!」

と、怒られていたのですが、

その日は珍しく、

「陽一っちゃん!一服せんね?え?煙草止めたとね!?へぇ〜そりゃ偉かねぇ・・・なかなか出来んことやけんねぇ・・・へぇ・・・そうね・・・」

と、しきりに褒められて、
(煙草止めたことで初めて褒められた!何か、妙な感じ)
と、ひょいと思ったんですよ。

今思えば、祖母も何か感じていたのかも知れませんね



この時に、子供たちを連れて行って本当に良かったです。






祖母の病室には、いつお見舞いに行っても常時4〜7人ほどはお見舞い客が来ていて、看護婦さんも驚いていました。


12日に仮通夜を行い、13日に通夜、14日にお葬式をしましたが、当初考えていた人数よりも大勢の人がお参りに来てくれて、親戚一同驚きました。


本当に皆さんに愛されていた人だったんですね・・・。






そうそう、私の子供たちの中で、長女の「あけちゃん」だけは病室にお見舞いに連れて行ったのですが、身近な人の死に初めて触れてショックが大きかったらしく、しばらくは言葉も出ない風でしたが、通夜を経験して、葬儀を経験して、お骨を拾って、やっと気持ちの整理が付いたようです。


下の子二人はまだピンと来ていないようでしたが、
「死んじゃうと会えなくなるけど、神様になるからずっと見守ってくれるんだよ。でも、悪さしてたら、お祖母ちゃんがカミナリ落としてバチを当てるからね!」
と言っています(^^)





お通夜の時に、お坊様が話してくれたお説教で、
親というのは、一番身近なご先祖様。その親を大事に出来なくて、先祖供養などあり得ない
というお話が印象的でした。



本当にそうですね。

祖母を亡くしたのは悲しいですが、両親にもしものことがあった時に、

「もっとこうしていれば良かった・・・」

「もっと早くああしていれば良かった・・・」

「こうなるって分かっていたら、こうしていたのに・・・」

と悔やまないで済むようにしたいと思います。




あ、そうそう父の兄弟が式の時に、どうしてもかけて欲しいといった「千の風になって」という曲があるんですが、すごく良かったですよ!


私は始めて聴いたんですが、紅白でも歌われた位有名な曲なんですね。


もともとは、IRAのテロで亡くなった青年が「ぼくが死んだときに開封してください」と両親に託していた封筒に残されていた詩だそうで、9・11の同時多発テロで父親を失った少女が式典で朗読し、それ以降も多くの人々に詠み継がれ、歌い継がれてきた詩だそうです。


とても素敵な詩だったので紹介したいと思います。





「千の風になって」
posted by 大塚陽一 at 17:00 | Comment(2) | 私という現象は・・・

2007年02月27日

祝☆生誕93周年♪

本日2007年2月27日は、祖母の93回目の誕生日です。

祖母は、年齢を数えで言うので、94歳ということですね。




今日は、祖母の大好きな紫をベースにした花束を買って家族で実家に行く予定です。

今頃子供たちはメッセージカードに、お手紙を書いていることでしょう(^▽^)



この祖母が、子供たち(私の父と兄弟ですね)を日本に無事連れ帰ってくれなかったら、今の私も存在していないでしょうから、本当に感謝ですね。

以前も祖母が満州国から引き揚げて来たエピソードを書きましたが、その後、母に確認したところ・・・





敗戦確定のゴタゴタで満州国中が、てんやわんやしている時に、

「今は国中が混乱している時だから、俺は警察署に戻らなければならない。
署に戻って状況を確認し、公務を果たしてから帰ってくる。
俺が帰るまで家を一歩も離れるなよ」

と祖母に言って祖父は、警察署に向かったそうです。

その送り出した背中が、祖父の最後の姿だったそうです。




しばらくすると、祖父の部下が二人やってきました。

祖母と子供たちを日本まで護衛していくよう、祖父から命令を受けたそうです。

そして、ありったけの金を胴巻きや靴下や産着の中に隠して、日本まで帰ってきたという話しでした。







女手ひとつで、6人兄弟を育てた祖母も数年前から痴呆が始まってしまい、時々は私の事も、死んだ父の弟と間違えたりするようになりました。

妻や曾孫である「あきら」たちのことも、誰なのか理解してくれているのか、ちょと怪しいですが(^^;)

今年も、花の可憐さを楽しんでもらおうと思います。


posted by 大塚陽一 at 18:15 | Comment(0) | 私という現象は・・・

2006年12月09日

私と言う現象は・・・その4

それは、それは、相当な難産だったらしい。

「こりゃあ、双子かも知れませんなぁ」
医者が冗談を漏らすほど、大きな赤ん坊だったし、これまでも何度か、せっかく授かった命を、この世に結び付けることなく失ってきたものだから、
(何としても、この子だけは・・・)
母親の「雅子」も必死だったらしい。

そうして大塚陽一は、昭和46年3月16日の明け方、熊本県で生まれた。

父親の「忠勝」も、三十を越えて、初めてもうけた跡継ぎの男児だけに、
(たくましく、強く、大きく育ってくれ)
その思いを込め、太陽の陽に、一番の一で、陽一と名づけたと言っていたが・・・

母親「雅子」が一度、
「それがねぇ、あんたが生まれるまで、何人も流れたろ?あたしも今度ばかりは、と思って必死でね、色んな友達とか、色んな人に相談したりしてね、そりゃもう必死やったよ」
なんでも義母からは、
「あたしゃ、6人するするっと産んだばってんね」
陽一の父忠勝の兄弟からは、
「お義姉さんには、早く大塚本家の立派な跡取りば、産んでもらわんといかんけんね」
などと、常にプレッシャーをかけられていたのが余程辛かったらしく、
「みんなから勧められるままに、色んな宗教に連れて行かれたり、お守り買ったり、厄払いしてもらったりしたねぇ・・・」
丁度陽一を身篭った時、某学会の熱心な信者である友人某に、言われるまま、経典の様なものを開いたら、
『釈迦の誕生』というページが開いたものだから、友人の某は、興奮して、
「あらぁ〜!雅子さん!あなた素晴らしいわ〜。この子はきっと、お釈迦様の申し子よ。絶対無事に生まれるわ〜!」
ということで、その宗教の教義で、『釈迦の申し子』と認定(?)された子供に付ける名前リスト(?)の様なものを見せられ、
「その中で、陽一っていう名前が、一番よかったけんね〜」
と、名付けた理由の秘密を、こっそり教えてくれた事がある。

この母親が、なかなかの変わり者で、今では、育児の世界では当たり前となっている情操教育を、昭和40年代当時に心がけていたり、
昭和50年代に、成功哲学の世界的権威ポール・J・マイヤーのパーソナル・モチベーション・プランニング・システム(数百万相当のもの)を購入して勉強していたり、
数々の資格を、独学で取得し、特に「産業カウンセラー」の資格を取得してからは、各所でセミナーを開いたりしている女傑といってもいい存在だった。
もともと勉強好きだし、末っ子で、おしゃまなところもあるので、周りもよく慕っており、
「何かあったら大塚さんに!」
「大塚さんに相談すれば!」
と、よく電話や、直接出向いて相談に乗ったりしていて、周りから頼みに思われる性質だった。

こう書くと、何事もキチキチッとしているように思えるが、夫である、陽一の父「忠勝」いわく、
「なぁに、あれ(雅子)は、自分の興味の対象以外は、ボケ〜っと、抜けまくってしまって、あれの会社も、よく仕事任せられるな〜と感心する位、普段抜けとるからな〜。ま、そういう抜けた性格やから、祖母さん(忠勝の生母、陽一の祖母)と、うまくやって行けるんやろうけどな」





私と言う現象は・・・その5につづく

解説
posted by 大塚陽一 at 00:08 | Comment(0) | 私という現象は・・・

2006年10月29日

私という現象は・・・その3

母は、5人兄弟の末っ子として、農家に生まれました。


まぁ、典型的な末っ子のB型・タイプ8(サイグラムネタで、ごめんなさい;)ですわ・・・(笑;


それは置いておいて、家族からとても可愛がられて愛いっぱいで育てられたらしいです。

母の名前は、母の祖父の名前から一文字取って付けられたそうですが、そのお祖父さんの思い出というのが、スッとした姿勢で何か書をしている姿が、脳裏に沁み付いているそうです。
そのお祖父さんの影響なのか、母は、達筆で凛々しく男らしい大胆な字を書きます。

母が、幼少の頃は丁度、戦争末期から戦後の厳しい時代だったと思うのですが、少しも貧乏でひもじい思いというのはしていなかったようです。
もちろん大きな農家だったからでしょう。その頃、色々な人にお金を貸していて、みんな返せないという事で家財道具を持ってくるから、家に家具が溢れるようにいっぱいあったそうです。

母は商売に興味があったのか、その頃、家の鶏が産んだ卵を持って、近所の病院に売りに行っていたそうです。
何円で売っていたのか忘れましたが、相場よりかなり高かったらしく、

「お嬢ちゃんの卵は高いねぇ^^;」

と言いながらも、小さな女の子が売りに来ているので、みんな買ってくれていたそうです。



また、ジブリのアニメ映画「となりのトトロ」を観た時、閃いた顔をしていたので、どうしたんだろう?と思っていたら、
激安の30%OFF!! 【30%OFF】500ピース(38×53cm)となりのトトロ メイ、見つけた!(500-249) ...となりのトトロ
劇中で、
続きはコチラ
posted by 大塚陽一 at 16:42 | Comment(0) | 私という現象は・・・

2006年09月20日

「私という現象は・・・その2」

父は、あまり少年時代の話をしません。
ただ、親戚の家に挨拶に行った時、お金か食料の無心に来たと思われて追い返されたと、いつか悔しそうに行っていた事があります。

室見川に、竹で作った罠を仕掛けてウナギを取った話とか、一緒に山に登った時に、色々食べられる植物のことを教えてくれたり、木の実を取って来て炒って食べさせてくれたりしたことがあります。

休日に、父と一緒にいれた記憶があまりないので、すごく嬉しかったのを覚えています。



父は、6人兄弟の長男で、下の弟・妹からすると父親代わりだったようです。
母親からは、大塚家の長男として、祖父の顔に泥を塗らないように、と厳しく言われ、また期待され、兄弟たちにも腹を減らさないように食べ物や、住む場所、服などの世話をしながら勉強に、仕事に、という感じだったようです。

きっとすごいプレッシャーだったと思います。



しかし、そのプレッシャーの中、誰でも知っているような大企業に就職し、20代の若さで土地を手に入れ、家を建てました。
しかも家を建てたのは、2回ですよ。

すごいです。

とてもじゃないけど、祖父や、父のような男にはなれない。
僕は、大塚家の面汚しだ・・・と、子供心にず〜っと思っていました。
いや、今もよく、そう思います。
両親や親戚から、納得してもらえるレベルの人間にはなれない。
自分は、駄目人間だ・・・本当にそう思うことがあります。



時々父が、僕のことで溜息をつくのを見たことがありますが、「がっかりだよ!」と、その表情が物語っていました。



その度に僕も、家に居辛い感覚に襲われ、一度は庭で自死を試みたこともあります。
小学校高学年か、中学校の時だったと思います。

研いだ包丁を握って、庭に座し、シャツの腹を(勿論自死の手段は、切腹しか思い付きませんでしたから)捲り、服を突き刺す瞬間、ふと頭上を見上げると、静かに青く光る月が、空いっぱいに広がっていました。

その時、月は微笑んでくれました。
月が、優しく微笑むんです。

それで僕は急に、何とも知れない気持ちが溢れ出てきて、心の底から泣きました。
どこからこんなに涙が出てくるの?という位。
(そんなに、水分取ってない筈だけど・・・とか、一瞬思いましたが^^;)

で、自死は辞めにしました。
あれからも、何度も何度も死にたいと思い詰めた事がありましたが、何とか実行に移さずにここまで来れているのは、お月様のお蔭というのも、結構な割合を占めています。



あのお月様の姿や優しく微笑むような輝きは、忘れられません。

あの時の、ひんやりと暖かい微笑みは、今でも僕を時に癒し、時に叱咤してくれています。
そして、僕に気付きを与えてくれます。



でも、父もきっと、若い頃同じような経験があるんだと思います。
僕も親になって分かりましたが、ついつい子供には要らないお節介を焼いてしまいがちです。その気持ちは、ストレートには子供に届きませんからね。

でも、同じ過ちは犯したくないので、「あけちゃん」は、「あけちゃん」らしく。「こた」は、「こた」らしく。「みこち」は「みこち」らしく。それぞれが、全然違う個性でいい。それぞれをそれぞれらしく愛しているということは、表現していきたいと思います。





しかし、思ったより親のことって知らないことばかりですね。
これを機会に、ゆっくり話をしてみたいなぁと思いました。

posted by 大塚陽一 at 11:44 | Comment(0) | 私という現象は・・・

2006年08月31日

私という現象は・・・その1

僕の好きな宮沢賢治の「私という現象は〜」に、なぞらえて、この場を借りて自分の半生
を振り返ってみようかと思っています。

僕自身の気持ちを整理する意味もあるし・・・
僕自身のルーツを見極める意味でもいい時期かな、と思ったので・・・
長くなりそうなので、何回かに分けて書きます。
興味のある方だけ、お読み下さい。





僕は昭和46年3月16日に、父の転勤先である熊本で生まれました。

父が35歳、母が30歳かな?の時です。


僕は、ひとりっ子です。
僕の前に三人、僕の後に二人死産だったそうで、僕一人だけ、この世に生き残ったと母に良く聞かされて育ちました。


父が大塚本家の嫡男で、当代様なので、必然的に僕も、大塚本家の跡取りとなります。


大塚家というのは、古くは橘氏の一派とも言われていますが、家紋は「三ツ扇」なので、まぁ本当かどうかは、良く分かりません。


僕から見て曾祖父までは、えらい金持ちだったそうで、今僕が住んでいる団地周辺も、昔は、ご先祖様の土地だったそうです・・・^^;

しかし、曾祖父が全部散財してしまったので、僕の祖父は、非常に苦労したようです。


祖父は、かなりな人物で、しかも剣の腕が立ったようで、「修猷の小天狗」と異名をとっていたそうです。
幕末の剣豪千葉栄次郎の異名「千葉の小天狗」と同じなので、かなり嬉しかったですね。


大塚家は、代々男子が短命な家系らしく、養子が続く中で久々の男子、しかもなかなかの逸材が産まれたということで、祖父はかなり期待されていたのではないでしょうか。


祖父は警察官になり、満州国に家族で赴任していたようです。
僕の父は、この祖父の長男に当たります。



祖母は、満州から当時11歳の父を筆頭に、6人の子供たち(僕の叔父、叔母ですね)を、女手ひとつで、引き揚げてきました。
当時の記録を見ると、わが子を全員連れて引き揚げてくるのは、すごいことだと思います。
この祖母の踏ん張りが無ければ、もしかしたら僕は、今存在していないかも知れません。



祖父は、満州の治安を守るために残り、ロシア人に捕まりシベリアに抑留され、そのまま帰らぬ人となりました。



幼少の頃、よく祖母が、祖父の警察官の制服姿の写真を見せながら、「お祖父ちゃんは警察官やったけんね。お祖父ちゃんの顔に泥を塗らんごとせんといかん。悪いことしよったら、ちゃ〜んとバチが当たるけんね」と言われてました。



多分父も、こう言われながら育ったんだろうなって思います。
この写真、警察官の制服に日本刀を持った祖父の姿は、最高に凛々しく、憧れでした。

posted by 大塚陽一 at 17:00 | Comment(0) | 私という現象は・・・
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