2007年01月20日

子供の成長に必要不可欠なこと



あなたは「スタンド・バイ・ミー」という映画をご存知でしょうか?

レビューはコチラ↓↓↓↓↓↓↓↓

http://gogopyramid.blog57.fc2.com/blog-entry-81.html

スティーブン・キング原作、ロブ・ライナー監督の映画で、名作の呼び声高い作品です。



この映画では、人の成長において必要不可欠な要素の数々が描かれていて、それを感動しながら自然に学べる素晴らしい映画です。

今日はこの名画「スタンド・バイ・ミー」から、子供の、というか人の成長に必要不可欠なことについてご紹介したいと思います。




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映画の舞台はオレゴン州キャッスルロックという人口わずか1,821人という小さな田舎町です。

ゴーティは遊び友達、クリス・テディ・バーンとはウマが合い、いつも一緒に遊んでいました。

ある日行方不明の少年が鉄道事故で死んでしまって、その死体の居場所を、兄から盗み聞きしたバーンは仲の良いゴーティたちに話し「死体を見つけて有名人になろう」と決めた4人は早速、親に内緒で冒険の旅に出かける決心をします。

野を越え、山を越え、沼ではヒルに吸い付かれ、鉄橋では危うく汽車に轢かれそうになりながら、ついに死体を発見するという物語です。

この二日間の冒険の旅で主役のゴーディとクリスが手に入れた最大の収穫は、

「自分自身と出会えたこと」

でした。




彼らは冒険の旅で新しい世界を体験して生還したのです。

心の中に巣食う魔物と闘い、自分自身も知らなかった自分と出会って生還したのです。



だから冒険を終えて懐かしのキャッスルロックに戻った時町が小さく、そしてどこか違って見えたのです。

町自体はこれまでと何も変らないのに、そう。自分が変ったから世界が変ったのです。

それも良いほうに。

夢と希望が見えるようになったのです。



それまでは自分の環境に絶望し、将来を諦めていたクリスは進学コースに進み、見事弁護士になります。

ゴーディも同じく進学コースに進み、作家になりました。






冒険の旅の最中にクリスはゴーディに尋ねます。

小説家になるのか?」

「やだよ。ものを書くなんて、時間の無駄だ!馬鹿げてるよ」

「それは、お前のパパの台詞だろう?
お前のパパは何も分かっちゃいない。
兄さんのことで頭がいっぱいだ。
代わってやりたいよ、もしも俺がお前のパパなら、就職するなんて言わせない!
お前には才能がある。
ものを書くのがうまい。
でも、それを誰かが育てなければ、才能は消えてしまう。
お前の親がやらないなら俺が守ってやる!」

クリスはゴーディを励まします。

しかも本気で。

この本気で信じ抜き、励ます心があったればこそゴーディは本当に作家になる事ができたのです。

父親にかけられた呪縛と呪いをクリスが解いてくれたのです。
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クリスもまたゴーディに励まされます。

「僕と一緒に進学コースに行こう」

「無理だよ」

「どうして?」

「みんな家庭環境で判断するから・・・」

「そんなことは間違っている!」

そして、クリスは給食代を盗んだ話を告白します。

ゴーディは濡れ衣だと信じていたので失望しますが、クリスの告白は続きます。
実はクリスは給食代を先生に返そうとしたのです。

でも、そのお金を先生が盗み、クリスを犯人のままにしたのです。

「そしていきなり停学さ。先生はその金を使って服を新調した」

「うん、覚えているよ。確か茶色のペイズリー模様のスカートだったね!」

クリスは泣きながら
「俺のことを誰も知らない土地に行きたいよ」
「俺って女々しいよな?」


ゴーディは黙ってクリスの肩に手をやります。
その手は「誰がなんと言おうと僕は君を信じているし、僕が君を守るよ。だから一緒に頑張ろう」
そう言っているようでした。



人を励ますことは励まされることです。

だからお互いに励ましあうことで自己実現が出来るのです。


そして、こうした励まし合いこそ友情であり、愛情というものなのです。家庭の中にもこういう励ましがあることが理想なのですが・・・実際はなかなか難しい事です。

旅の終わりに、ついに4人は死体を発見しますが、死体を見た途端ゴーディが、自分の死んだ兄を連想してパニックになります。

実はゴーディは父親に

「(兄の代わりに)お前が死ねば良かったんだ

と言われたことで、ひどく傷つき、その言葉の呪縛にがんじがらめになっていたのです。

それ以来ゴーディは、本気で自分の方が事故で死ねば良かったんだと思い込んでしまっているのです。
自分の存在価値に対する自信の無さがゴーディをパニックに陥れます。

ゴーディはクリスに質問します。

「どうして兄ちゃんは死んだんだろう?」

「さぁどうしてかな?」

「僕の方が死ねば良かったんだ」

「よせ!そんなことを言うな!」

「パパは僕を役立たずだと言った!」

「パパは君の事を知らないだけなんだ」

「でも、パパは僕を嫌っている!」

泣き始めたゴーディの肩を、今度はクリスがしっかりと抱き、

「君はきっと大作家になる!書く材料に困ったら、僕らのことを書け!」



「・・・きっと、すぐ困るね・・・」



自分の才能が開花する事を真剣に願ってくれる人が居る。

これほど幸せな事はありません。



人の人生において、人から自分の幸せを願われる事は極めて重要な事です。



単なる「頑張れ!」という口先だけでは励ましにはなりません。


クリスのように「父親がお前の才能を守らないなら、俺が守ってやる!」という父性愛にも似た熱い思いがあったればこそゴーディの呪縛は解け、

ゴーディの「僕は君を信じるよ」という思いが、クリスを絶望から救ったのですね。



しかし、実際の我々はゴーディの父親に似た事を、それと知らずに案外気軽にしてしまっている事が多いのです。



親には、子供の心をこういった呪いの呪縛から守り、呪縛を解く使命があります。

そして、男性には友と女性の心を呪縛している呪いを解く使命があります。





童話の世界で、白馬の王子様が女性にかけられた呪いの魔法を解くという話は象徴です。
女性にかけられた呪いを解く鍵は男性が握っています。





と、私は信じています。


2007年01月18日

もう一度人生をやり直せるなら・・・

あなたはもしも人生がやり直せるとしたら、やり直したいと思いますか?



最初から人生をやり直すチャンスがあったら、何十億もの人々の生活を改善すべく、医学の道に進んでいたかもしれない――。




これはあのビル・ゲイツ氏が、「CNET Japan」2006年11月で語ったというインタビュー記事の一部です。

世界一の億万長者でもあり、今をときめくマイクロソフトの創業者でもあるという「地位」も「名声」も「お金」もすべて手に入れてやり直せても、これ以上の人生なんかなさそうな彼でさえ、

「もし人生をもう一度やり直せるとしたら、今と同じ人生ではなく、他の人生を選ぶかもしれない・・・」

というんですからねぇ〜(^。^;)



え?

私ですか?

私が人生をやり直したいかどうかをお話しする前に、ひとつの詩をご紹介します。



運命を変える聖なる言葉」という本に収録されていたナディン・ステアさんという老人の詩です。




「もし、人生をもう一度やり直すことができるなら、わたしはもっと失敗をしてもっと馬鹿げたことをしよう」

今度はもっと間違いをおかそう。


もっと寛ぎ、もっと肩の力を抜こう。


絶対にこんなに完璧な人間ではなく、もっと、もっと、愚かな人間になろう。


この世には、実際、それほど真剣に思い煩うことなど殆ど無いのだ。


もっと馬鹿になろう、もっと騒ごう、もっと不衛生に生きよう。





もっとたくさんのチャンスをつかみ、もっとたくさん冒険をし、


行ったことのない場所にも、もっともっとたくさん行こう。


もっとたくさんアイスクリームを食べ、お酒を飲み、はそんなに食べないでおこう。


もっと本当の厄介ごとを抱え込み、頭の中だけで想像する厄介ごとは出来る限り減らそう。



見ての通り、私は来る日も来る日も片時も休まず、危険を避け、懸命に、まともに生きてきた人間だ。



勿論、私にも最高の瞬間が有った。





もう一度やり直せるなら、そんな瞬間をもっと数多く持とう。



一瞬一瞬をイキイキと生きよう。



私は体温計と、


お湯入りの水筒と、


うがい薬と、


レインコートと、


パラシュートなしではどこにもいけない人間だった。



もう一度やり直せるなら、今度はもっと気軽に旅をしよう。




もう一度最初から人生をやり直せるなら、


春はもっと早くから裸足になり、


秋はもっと遅くまで裸足でいよう。





もっとたくさんのメリーゴーランドに乗り、


もっとたくさんのデイジーを摘んで、


もっとたくさんの夕日を見て、



もっとたくさんの子供たちと真剣に遊ぼう。




もう一度人生をやり直せるなら・・・・





はい。

どうでしょうか?





私は、いつでもやり直すのに遅すぎることはないと思っています。



そりゃあ、「恥ずかしい失敗」や、「後悔してしまうようなこと」を無かった事にして


時間を撒き戻すことは出来ないですが、


それらを十字架としてしっかり自身で背負いながら、その場所からやり直す事は出来ると思っています。




「遅すぎることはない」というのは、結局みんな自分で気付かない限り、


いくら指摘されてもやり直しなんかできませんし、やり直す必要性も感じません。





何事も気付いた時がタイムリーなのだと思います。




早すぎる事も、遅すぎる事も、ありません。




そう確信しています。




そして詩でも語られているように、この瞬間から一瞬一瞬を「イキイキと生きよう」としたらいいと思います。







今朝、タレント「風見しんごさん」の娘さんが交通事故でお亡くなりになったというニュースを見ました。




私も同じように娘を持つ父親。




残された親の気持ちは痛いほど分かります。




今朝元気に「いってきま〜す!」(^▽^)ノ




と、学校に駆け出して行った娘が・・・もう二度と帰って来ない。




私も、あなたも、誰でもが、いつかは死にます。


これだけは、誰でもが共通しています。


これを免れられる人なんて一人も居やしません。





それが、いつになるかが分からないだけです。




で、あれば、せめて明日、


いや、今日がその日であっても少しでも悔いの残らないように、


許された一瞬一瞬を精一杯、


全力でイキイキとピカピカに行きたいと思っています。





私もあなたと同じで、なかなか妻や子供たちと一緒の時間が取れません。


だからこそ、一緒にいる瞬間を大事にしたい。


時間が無いから、一瞬一瞬の表情を記憶に、心に、焼き付けたい。





一秒しか時間が無ければ、その一秒にすべての想いを込めてギュッと抱きしめたい。





最悪な事は絶対起こってほしくないけど、起こらない保証はない。






だからせめて、




「ああ、あの時に全力で愛していてよかった」




せめてそう思えるように常に精一杯愛したい。




そう思っています。

2007年01月17日

悪人が集まると喧嘩が無くなり、平和になる

今日は、素敵なヒントに溢れた「光に向かって100の花束」という本を紹介したいと思います。



その中で私が大好きなエピソードがあるので、それを紹介します。

これは平和な家庭、チームワークの取れたチームを築く秘訣です。

有名なお話なので、ご存知の方も多いかも知れませんね。




「悪人ばかりだとケンカにならない」




あるところに、家庭内でケンカの絶えないA家と、平和そのもののB家とが隣接していました。

ケンカの絶えないA家の主人は、B家を訪ねて、B家の主人に質問しました。

「私の家はケンカが絶えず困っております。
お宅は、みなさん仲良くやっておられますが、なにか秘訣でもあるのでしょうか?」



B家の主人は答えました。

「これといった秘訣などありません。
ただ、お宅は善人さまばかりの集まりだからケンカになるのです。
私の家は悪人ばかりですので、ケンカにはならないのです。」



それを聞いて、てっきり皮肉られていると思ったA家の主人が、「そんなバカな!」と言おうとした時、B家の奥で大きな音がしました。

「ごめんなさい。
私が足元を確かめなかったので、大事な茶碗を蹴って割ってしまいました。
私が悪うございました」と、心から詫びているお嫁さんの声がしました。

「いやいや、あなたが悪いのではありません。
先ほどから片付けようと思いながら、横着してそんなところに置いた私が悪かったのです。
すまんことをしました」と、続いて姑(しゅうとめ)さんの声が聞こえてきました。



「なるほど、この家の人たちは、みんな悪人ばかりだ。
ケンカにならぬ理由がわかった」と、A家の主人は感心して帰ったそうです。









「善人」ばかりの家だと、みんなが「如何に自分が正しいか」を主張し合い、相手の過失ばかりを指摘し合うようになります。



一方、自らに原因を認めることができる人が集まっている家は、ケンカにはなりませんね。

後者の人たちは、相手に責任を転嫁せずに、自分が責任を引き受けているのです。

つまり、相手に依存するのではなく、自立したスタンスを取っているのですね。



ですから、相手に対して腹を立てたり責めたりするより、

「自分がどうすべきだったか」

という自立的な解決策を考えます。





こういった話をインプットすると、それだけで自分も「出来るようになった」つもりになりますが、実際にそういったケースが自らに起こったら、なかなかこうは行かないものですね。



交通事故の時なんか、片方が停車していない限り、ほぼ両方均等に過失があるという事になります。



納得行かない時、ありますよね?



でも、上記の考え方をして考察してみると、確かに過失を認めざるを得ないものです。




難しいですけどね。



2007年01月05日

仕事は楽しいかね?

仕事は楽しいかね?

という問いにドキッとしたあなたに今日は、一冊の本を紹介したいと思います。






あなたは、松下幸之助さんをご存知でしょうか?

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恐らく何をした人なのかは知らなくても、名前を聴いた事はあると思います。





松下幸之助さんは、「経営の神様」とも言われる日本最大級の経営者で、松下グループの総帥でした。

もうすでに鬼籍に入られておりますが・・・


戦後の日本を支えて、終身雇用中流家庭の時代を切り開いてきた立役者と言える方です。





この松下幸之助さんが晩年、自ら創り上げた巨大企業松下グループと引き換えにしても、欲しいものがあると言ったことがあるそうです。





果たして何を欲しいといったのでしょうか?












それは「若さ」でした。






人間は、それがどんな人であれ、その「若さ」は永遠のものではなく、必ず「失われる」ものです。






そして、我々は、その限りある財産である「若さ」を、



 
 1、浪費する

 2、投資する

 3、消費する




という選択肢の中から、どう扱っていくか決断、選択しながら生きていきます。

勿論、選択も決断もしなければ、ただ「浪費」していくだけですね。





また、人間は人よって個人差はありますが、大体一日に約8時間睡眠を取り、約8時間仕事をしていますよね?
睡眠時間は仕方ないとしても、せめて勤務時間だけは、どうせ同じ時間使うのであれば、自分なりに「投資」して欲しいと思います。




果たして勤務時間は、業務以外に費やす事が出来ないのでしょうか?


果たして業務内容は、「投資」に応用する事が出来ないのでしょうか?


そして、「投資」するとしたら、どう「投資」すべきなのでしょうか?






話しがややこしくなってきましたね。
ごめんなさい。





その「答え」はここに在ります。

必ずあなた専用の「答え」が見付かると思いますよ。





「仕事は楽しいかね?」デイル・ドーテン


あらすじ





飛行機に乗ろうとした主人公は、あわれにも吹雪で空港に足止めされてしまいます。

ところが・・・人生万事塞翁が馬

彼は、この空港で大富豪マックス・エルモアと知り合いました。

主人公は、すっかり打ち解けたマックスに、自分の持っている不満をぶちまけます。

すると、マックスは主人公に「成功のための戦略を話してくれ」と問います。

主人公は、「目標の設定」と「ポジティブシンキング」の二つを挙げ、紙に書きました。

すると

何とマックスは、その二つの上に大きくX印をつけたのです!

そして、二つの言葉の上にデカデカと、ある文字を書きました。

○○○○○ことに失敗はない」


















何よりも、あなたが「仕事は楽しいかね?」という問いに、

ドキッ!

としたならば、買いですよ!
損はしません。




私自身、未だに読むたび新しい気付きがありますし、これほど読み易く理解しやすい物語形式の自己啓発書を他に知りません!





2006年12月23日

今日は天皇誕生日。めでたい事ですねぇ(^▽^)

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道を歩いていると、翻る日の丸をかなりの数、見かけました。
昔に比べれば、本当に日の丸が増えたように感じます。


やっぱりいいですねぇ。
自分の国家の象徴である国旗が翻る姿は(^▽^)


さて、象徴といえば、今日は天皇陛下の誕生日で祝日なんですよね。
私は、右でも左でもないのですが、天皇制というものは、やはり永久に継続して欲しいと思っています。


よく戦争に負けて初めて「人間宣言」を行って初めて天皇陛下が、日本の象徴となったと認識しておられる方々がいらっしゃいますが、果たしてそうでしょうか?
実は、「人間宣言」よりもずっとずっと昔から、すでに天皇陛下および天皇家は、日本の象徴でした。




武家が主流になってから、このかたずっと天皇という存在は、日本の象徴でした。
「日本の象徴」というのは、
日本の伝統と歴史や文化を代表する象徴。
そして日本の宗教的権威を代表する象徴。
そして日本政治の裏付けとなる権威としての象徴。
ということですよね。
今年のワールドカップ開催時など、どこの家庭からもTVでワールドカップを観戦していて歓声や、ため息が同じタイミングで聞かれたものです。
国民全員が、サッカーファンというわけでもないのに、みんなが一丸となって応援したのは、ワールドカップで、日の丸を背負った日本代表選手が戦っていたからなんですよね。


日の丸も、日本の象徴。


つまり、天皇陛下も日の丸も、日本国民をまとめる為の代表である象徴ということになります。
天皇陛下や、日の丸といった国の象徴・国を代表する存在と言うものには、国民をまとめる効果が必要不可欠だと思います。
国民がまとまらなければ、それは国の崩壊を意味するからです。
まぁ、現状それに近い状況であることは、今回は、一先ず置いておいて(^▽^;)


この国民をまとめる象徴として、アメリカならキリスト教と国旗を利用しています。
そう。
利用です。
だから、邪魔な国のことを「悪魔の・・・」って言うでしょ?すぐ。


で、例えばすぐ隣の、困ったチャンの国では、困ったチャン自身がこれですよ。
ね?
金さんは、反日パルチザンの英雄の息子という権威であると同時に、北朝鮮の指導者という権力を持っています。権威と権力がひとつになると為政者の人徳次第でどうにでもなってしまいます。
その存在が優秀で、カリスマがある時はいいですが、金さんを見れば分かるとおり、無能だと、やりたい放題で、国は疲弊しきって、国民をまとめるのが至難の業になってきます。


中国とか象徴が無い国は、指導者にカリスマがない時に、どうやって国民をまとめるかというと、国外に敵を作って、国内をまとめようとしますね。
それが、今のことあるごとに日本にいちゃもんをつけてくる姿です。


金さんも、それに倣っていますよね?
ねぜ?って・・・そりゃあ・・・ねぇ(^▽^)




「最も優れた政治は賢帝による専制政治」であると誰かが言っていましたが、その通りだと思います。
しかし君主制の問題点は「権力と権威が一緒になってる」という点です。
良いも悪いも為政者の心一つ。君主が民のことを考えられる賢帝なら幸せですが、暴君ネロのような人物だったら・・・君主が必ずしも賢帝であるとは限らない訳ですよ。しかも世襲制の場合は特に、ね。




ところが、今の日本にはその心配はありませんね。
権威と権力が別れていますから!




でも、「天皇に権威を持たせるのは、危険だぁ〜!!」とか言う人、居るでしょう?




まず。
権威は必要ですよね?


例えば、結婚式。
神という権威の名の下に、誓いの言葉を交わして晴れて夫婦になりますよね?


例えば、トリビア。
どこそこ大学の某教授に確認したり、信用できる書籍で裏付けを得ないと、確定させて公に言えないですよね?


例えば、通貨。
あれも日本政府が、価値を保証していなければ、ただのコインと紙切れですよね?




前述した通り、共和制のフランスやアメリカは直接キリスト教の神の権威を利用しています。
フランスの人権宣言には、
「こうして、国民議会は、最高存在の前に、かつ、その庇護のもとに、人および市民の以下の諸権利を承認し、宣言する」
と、この権利が神によって保障されているものだとしています。
アメリカ大統領も、大統領に就任する際に聖書に対し宣誓します。
こうやって欧米の国家は、伝統的なキリスト教の権威を政治に利用しています。
かの国もそうしているように、政治に伝統的な権威の裏付けは必要ということですね。



では、
日本政治の力の裏付けとなるもの国家が民衆の支持を得る為の裏付けするための権威は何でしょう?


天皇陛下ですね。

日本の法律は権力者である国民が作って、権威者である天皇が公布する形になっています。
この法律は天皇陛下のお墨付きですよという意味です。


因みに内閣総理大臣の任命も天皇陛下がなされています。
神か、天皇陛下か、というだけで、権威を利用する事によって民衆の支持を得るシステムは、かの国々と何も変りません。
と、書くと、
「天皇がキリスト教の神と同じ扱いにするとは、言語道断!これぞ右翼の論法だ!!」
何て言われそうですが・・・



元々GHQの「人間宣言」がおかしくて、天皇陛下をキリスト教やユダヤ教、イスラム教と同じ一神教と同一に誤認識した早とちりというか、勘違いから始まったものなのです。



なぜならば、日本という国の元々あった宗教観は、森羅万象全てのものに神が宿るという考え方でした。
それこそ山にも海にも川にも水にも火にも土にも動物にも石にも、人間の作ったカマドにも、風呂にも鍋にも茶碗にも飯にも人自身にも神は宿るのです。
天皇陛下は、それらの象徴。
ね!

古くから象徴だったんですよ!




政教分離に関しても、100%完全なる政教分離なんて無理です。なぜなら旧ソ連やら、北朝鮮やら、必ず指導者の銅像が立っていて、偶像崇拝させていますよね?
というのは置いといても、政教分離と言うのは
「宗教はあくまでも権威のみの存在で、政治に口出しすべきではない」という意味です。
これって、日本では確立されていますよね?

よね?




前戦争で一旦否定されたからって、その他人からの評価を100%受け入れなくともいいのではないでしょうか?



最後に、クイズを出して結びに替えたいと思います。



Q:かのアメリカ大統領が、最敬礼で迎えるざるを得ない存在が、三人居ます。
それは、誰でしょうか?

答えはココ♪

2006年12月13日

「電池が切れるまで」

今日書いた「命」に関してですが、



とても有名な詩なので、
すでにご存知かもしれませんが、「電池が切れるまで」という本の中に、
「命」という詩があったのを思い出したので、あなたにご紹介したいと思います。



 「命」



 命はとても大切だ

 人間が生きるための電池みたいだ

 でも電池はいつか切れる

 命もいつかはなくなる

 電池はすぐにとりかえられるけど

 命はそう簡単にはとりかえられない

 何年も 何年も

 月日がたってやっと

 神さまから与えられるものだ

 命がないと人間は生きられない

 でも

 「命なんかいらない」

 と言って

 命をむだにする人もいる

 まだたくさん命がつかえるのに

 そんな人を見ると悲しくなる

 命は休むことなく働いているのに

 だから 私は命が疲れたと言うまで

 せいいっぱい生きよう




この詩を書いた4ヵ月後の1998年6月、宮越由貴奈ちゃんは、11才で亡くなりました。



今年の漢字「命」

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歳末恒例となっている、一年の世相を表す「今年の漢字」に「命」という字が選ばれましたね。



今年は、親が子を、子が親を殺害するという家庭内での傷ましい事件。
また、飲酒運転により幼い命が犠牲になる悲惨な自動車事故などが多発しました。

海外でも、イラクをはじめとする中東で頻発する自爆テロなど、この一年で日本を問わず世界中で不条理に奪われ、失われた「命」は数知れず、その軽んじられた「命」の数は枚挙に暇がありません。

もっとも、その一方で皇室では41年ぶりの皇族男子となられる悠仁さまという新しい「命」のご誕生という国民的な慶事があったのも確かですが・・・



そういったことが、「命」を選んだ理由でしょうね。
京都の清水寺で、森清範(せいはん)貫主が特大の色紙に揮毫(きごう)する姿がテレビ映像で流されていましたが、貫主も「想像していたのとは違ったが、命を選んだのには現在の苦しみが潜んでいる」とコメントされていましたね。


素晴らしい言葉なのに、「悲しみの象徴」としての選出理由とは、非常に寂しいことです。

しかし、今年一番「命」と言われて印象に残っているのは、小学生や中学生の校内いじめに起因する年少者の自殺や、そんな生徒の命を守るために指揮を取るべき学校長の自殺が相次いだこと。



そうです。自ら「命」を絶つということ。



この「命」という感じですが、漢字破字法で分解すると、



という3つの感じから成り立っているのが分かります。
つまり、「命」とは、「人を一番叩く」ということになります。


鉄は、「熱いうちに打て」という諺があるとおり、打って鍛えて、はじめて良質の鉄ができるのです。
寒さが厳しくなればなるほど甘みを増す冬野菜もしかり。
武術・武道のつらい修行もしかり。


困難や、問題を、自分で解決し、乗り越えて初めてレベルアップできるように出来ているんです。
そういうシステムなんです。

「命」というのは、そういうものなんだ。

そう思えば、いざ、トラブルが来ても、
「よしよし、このトラブルは、どんなレベルアップのためのチャンスかな?」と、思って立ち向かえるのではないでしょうか?



ちょっとのトラブルで、絶望して欲しくないです。

親も、先生も、友達も、このことを良く考えて、回りと接していって欲しいと思います。




必ず、道は拓ける。
諦めてはいけない。
もともと、あなたのためにトラブルは起こり、乗り越えるためにトラブルはある。





最後に、俺の敬愛する故ケネディ大統領の言葉を紹介したいと思います。

「漢字では、危機(クライシス)という言葉は、危(ピンチ)と機(チャンス)で出来ている」

2006年12月11日

「素直」という作法

「素直が一番」とか、「素直な人ほど、仕事がデキる」という言葉を、聴いた事がないですか?

しかし、「素直」というのは、具体的に言うと、どういうことでしょうか?

国語辞典を引くと

他人の言うことを受け入れられる様子

とあります。
また、経営の神様と言われている松下幸之助氏は、もっと分かり易く述べてあります。

素直というのは、聞く耳を持って学ぶ姿勢のことです。情報を前向きに受けとめる感性のことでもあります。
これに本気で願う真剣さが加われば、必ず道は開けます。
伸びる人とは、そういう人ですな。
反対に、ひねくれておったり、願いが弱かったりでは、これはあきまへんわ



よく時代劇などで、弟子入り志願の若者が、剣の達人である師匠から言われる言葉に、

「わしの言う通りにするか?」

というシーンがあります。


また、少年が、日本人から教えてもらったカラテを通して成長していく姿を描いた1984年公開の「ベスト・キッド」という、私の大好きな青春映画があるのですが、その中でも、
カラテの師匠である日系人ミヤギさんが、させる修行に疑問を持つ主人公ダニエルさんが、「質問は無し」と言われていましたね。



以前このブログで書いた「守破離」↓の精神と同じことです。
http://familyties.seesaa.net/article/27416546.html


さて、この「素直」ということ、改めて考えてみると実践できているかどうか判断し難いですよね?

これができているかどうかは、返事にあります。

もし、今の自分が、素直とはいえないなぁ・・・と思っている方がいらっしゃったら、返事をしっかりするようにして下さい。

今、お子さんをお持ちの方であれば、お子さんに、しっかりお返事をさせることと、ご自分も、ちゃんと返事をするということを意識して実践されて下さい。


ちゃんとした返事というのは、

はいっ!」(^▽^)/

という返事です。

「はいはい」
「は〜い」

ではありませんよ。

ちゃんと大きな声で、明るく、元気に、一言で「はいっ!」(^▽^)/と、返事をして下さいね。



もし、あなたが誰かに仕事を教えたり、勉強を教えたりした経験がおありなら、大きく頷きながら、呼んでもらえていると思いますが、素直でない人は、例え仕事を教わっていても、

「え?」
「はぁ」
「でも・・・」

といった感じの返事ですよね。
というか、無反応な人もいます。

返事をするということも、ものを教わる立場で、大事な作法ですが、それを大きく、明るい、元気な声でするというのは本当に大事です。

だって、ちゃんとした返事をしてもらえたら、

「お、ちゃんと分かってくれたな」
とか、
「すごく、やる気を感じるなぁ」
と、
教える方も嬉しくなってきて、身が入るというものですよ。


ここまで書いても「素直でない人」が、読んでいたら、「何でも言いなりになるのはよくない」とか、「その人の個性を無視するのは」云々とか言い出すのでしょうね・・・~ (ー.ー")

そういう人には、何を言っても言い訳と受け取られるでしょうが、もうひとつ件の松下幸之助氏が、素直に関して話した言葉が残っているので、最後に、それを紹介します。

素直とは、右を向けといったらただ右を向く、そういう従順さのことではありません。
素直な心とは、自らの至らなさを認め、そこから惜しまず努力する謙虚な姿勢のことです。
人の意見をよく聞く大きな耳、自分自身を見つめる真摯な目。それらを身の内に備えて絶えず働かせることなのです


2006年12月06日

挨拶という魔法

我が家では、みんなが余裕を持って起きていれば、ですが、朝出勤する時は、家族全員でお見送りしてくれます。

「いってらっしゃ〜い!」と、

長女「あきら」と、次女「みこと」は、バイバイしてくれます。

長男「小太郎」とは、タッチ!


妻とは・・・(///ω///)・・・
妻とは・・・その・・・チューしてます・・・。゜+.(o´∀`o)゜+.゜



いっしょに居る日は、多分欠かさず、毎日。

それも、「いってらっしゃい」だけじゃなく、「おやすみ」も、チューしてます( ●´艸`)〜♪



そうですね〜。
これは、結婚前からなので、もうかれこれ11年間位続いていますね。



いや、アツアツ振りをアピールしたかった訳ではないですよ(^▽^;)
挨拶の話しがしたかったんですよ。


妻が、躾をしっかりしてくれたお陰で、子供たちはちゃんと朝は、眠い目を擦りながらも、「おはよう♪」
「いってきま〜す♪」
「ただいま〜♪」
「バイバイ〜♪」
「いただきま〜す♪」
「ごちそうさまでした♪」
と、ちゃんとご挨拶しています。
次女の「みこと」は、「いただきます」とか「ごちそうさまでした」と言うと、
「はい」
と言ってくれます。

嬉しいですね(^▽^)


そうです。挨拶というのは、コミュニケーションの基本です。
どうしても忙しくて会話が出来ない時も、せめて、挨拶はして下さい。
ね。
挨拶だけでも、お互いの絆を感じることが出来るでしょう?


こちらが、挨拶をする。
相手が、それに応える。


このキャッチボールが、本当にコミュニケーションの基本となります。

前置きが長くなりましたが、今日は子供や、大切な人ほど伝えていきたい挨拶の大切さを述べてみたいと思います。


挨拶。


挨拶が大事というのは、きっと皆さんわかってらっしゃいますよね?

では、なぜ、大事なんでしょうか?
その辺りを、解説したいと思います。



話は変わりますが、説明責任という言葉。
最近良くニュースで耳にするのではないかと思いますが、これは、子供に何かを教える時、伝える時、そして叱る時に、必要になってきます。

「悪い事をしたんだから、コラァ〜ヾ(*`Д´*)ノで、いいんじゃない?」

と仰られるかもしれませんが、子供は、案外怒鳴られるよりも、ちゃんと説明されて、自ら納得した方が、ちゃんと自らを改め、同じことをしなくなるものです。
特に幼い子供は、何でも実験です。
何がいい事で、何が悪い事か分からずに、とにかく何事も、まず実験してみます。
実験して、それが何なのか?そういう行為を行うとどうなるのか?ということを学んでいくものです。
なのに、実験の途中で怒られて、怒鳴られて、何が何だか分からない内に、実験を強制的に止めさせられても・・・ねぇ?

しかし、指導すべき大人が、指導すべき内容を理解できていないと、ちゃんと正確に、ちゃんと理解してもらえるように、伝える事はできませんよね?


「いや、一々理屈を知らなくても、子供は親の背中を見て育つもんだ!だから、親が、ちゃんとしっかり挨拶を実践していれば、自然と子供もやるようになるんだ!」


なるほど、ごもっともです。

では皆さんが、挨拶をちゃんとできていれば、いいということですよね?
では、みなさんはちゃんと挨拶できていますか?

家庭内で、できていればいいのでしょうか?
職場内で、できていればいいのでしょうか?
お客様に、できていればいいのでしょうか?
ご近所に、できていればいいのでしょうか?

そして、その挨拶自体、どんな挨拶であればいいのでしょうか?

元気に?
笑顔で?
明るく?
相手の目を見て?
大きな声?
お辞儀?

どうですか?


案外、今までしてきた挨拶って、曖昧な認識でされてきたんじゃないですか?



まず、挨拶の定義というのは、

「こちらから先に相手が返さざるを得なくなるような挨拶をし、相手からの挨拶を待つ」

と、いうものです。

パートごとに分けて解説します。

まずは、「こちらから先に」です。
これは、鉄則。
絶対に待ってはいけません。
必ずこちらから先に挨拶を行うということは、守って下さい。



次に、「相手が返さざるを得なくなるような挨拶をし」です。
相手が、返さざるを得ないような挨拶と言うのは、

@ 相手の目を見つめ
A 笑顔で
B 相手に届くような大きな声で
C 元気に
D 明るく
E ちゃんと、相手に届くように

挨拶をするということです。


そういう挨拶をされたと想像して下さい。
挨拶を返さないと、すごくバツが悪いでしょ?



そして、「相手からの挨拶を待つ」です。
実は、これが、案外出来ていない人が多いです。
相手から挨拶が返ってくるかどうかが、不安なのかもしれませんが、期待して待って下さい。
期待満々で、目を逸らさずに待って下さい。
相手からの挨拶が返ってきて、初めて挨拶が成立します。
以上が、挨拶の定義であり、挨拶の最低限のマナーです。



ではなぜ、「こちらから先に相手が返さざるを得なくなるような挨拶をし、相手からの挨拶を待」たなければならないのか?を解説しますね。



今までに、挨拶し辛い人は、居ませんでしたか?
振り返って考えてみて下さい。
小学校、中学校、高校、大学、専門学校、部活、バイト、友達、職場、親戚で。
いました?

その人のこと、好きでした?
どちらかというと、苦手ですよね?

それって、だいたい相手もあなたのことを、苦手に思っているものなんですよ。
だいたい最初の出会いで決まります。
たまたま、その時の印象が悪かったり、挨拶したのに返ってこなかったり、実は返したのにあなたに届いてなかったり、相手が気付かないような挨拶をしていたり、相手が応えられないようなタイミングで挨拶していたり。理由は様々ですが、こういった何らかの事故から、お互い相手に「あの人は挨拶し辛い」「あの人は挨拶しても返さない」「あの人は、自分からの挨拶を好まない」というレッテルを貼ってしまっています。
そして、次に顔を合わした時は、お互いにレッテルを貼っているから、
「あ、やっぱりね」
と、なってしまいます。



逆に、あなたの姿を見付けると、誰よりも早く、あなたが挨拶する前に、必ず挨拶してきた人っていませんか?
振り返って考えてみて下さい。
小学校、中学校、高校、大学、専門学校、部活、バイト、友達、職場、親戚で。
いました?

その人のこと、嫌いでした?
どちらかというと好きですよね?

なぜならば、その相手も、もともとあなたに好意を持っているから、あなたを見付けると、挨拶せざるを得なくなって、飛んできて挨拶するんです。
いつも、いつも、あなたのことを考えて、あなたのことを気にかけている存在。
だから、あなたも悪い気はしないし、相手の好意を感じるから、こちらも自然と、好意を持ちます。
そういうものです。



勘の良い方は、もう分かっていますね。
そう!

こちらから先に相手が返さざるを得なくなるような挨拶をし、相手からの挨拶を待つ
というのは、

あなたの周りに、あなたが嫌いな人が、一人も居なくなって、しかも、あなたの周りに、あなたが好きな人ばかりいて、その人たちもあなたのことが好きになるということ!




「挨拶」というのは、そういう魔法。





《挨拶は「先手必笑」》と覚えて下さい。







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